銀座にある歌碑というと、やはりまずこれでしょうか
銀座4丁目、数寄屋橋公園内にある「銀恋の碑」
「銀座の恋の物語」作詞大高ひさを、作曲鏑木創
1961年に発売された石原裕次郎と牧村旬子のデュエット曲です
翌年には、これを主題歌とする同名の日活映画「銀座の恋の物語」が、石原裕次郎、浅丘ルリ子主演で公開されました
次に、銀座8丁目にある「銀座柳の碑」
こちらは、正確には「東京行進曲」の歌碑ですね
植えてうれしい 銀座の柳
江戸の名残りの うすみどり
吹けよ春風 紅傘日傘
今日もくるくる 人通り
「東京行進曲」は、作詞西條八十、作曲中山晋平で、日本の映画主題歌(映画とタイアップした曲)の第1号だそうです
映画の「東京行進曲」は、菊池寛の小説を映画化したもので、監督は溝口健二でした。無声映画です
銀座6丁目、並木通りに建つ石川啄木の歌碑
「京橋の瀧山町の 新聞社 灯ともる頃のいそがしさかな」
石川啄木は、「一握の砂」や「悲しき玩具」(死後に発表)で知られる歌人(26歳の若さで死去)で、朝日新聞社に校正係りとして勤めていました
銀座6丁目の新橋演舞場には、それぞれ一世を風靡した演劇人お二人の歌碑があります
一人は、「澤正」こと「澤田正二郎」(上の写真、右側の石碑)
大正から昭和初期に活躍した大衆演劇の人気役者で、劇団新国劇を創設して座長をつとめました。「月形半平太」や「国定忠治」などの剣劇ものが熱狂的に受けたそうです
「何処かで 囃子の声す 耳の患」
もう一人は、「曾我廼家五郎」の歌碑
日本の近代喜劇の第一人者で、喜劇役者であり、喜劇作家でもあった方です
彼の死がきっかけとなって松竹新喜劇が結成されました
「むさし野や 三十年は 泣き笑ひ」
【おまけ】
これは中央区ではありませんが、有楽町マリオン前(千代田区有楽町2-5-1)の「有楽町で逢いましょう」の歌碑
「有楽町で逢いましょう」は、作詞佐伯孝夫、作曲吉田正、歌唱フランク永井の楽曲で、有楽町そごう(現在、ビックカメラ有楽町店)のコマーシャルソング(キャンペーンソング)としても使用された楽曲です