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空襲を受けた銀座

[CAM] 2017年1月23日 18:00

 三島由紀夫と三谷信氏は、学習院での同級生であるが、三島は、先に応召入隊した三谷と葉書を遣り取りしていた。そうした葉書を中心に、三谷が、三島の思い出を語った著作が『級友三島由紀夫』(単行本1985年刊、中公文庫1999年刊)であるが、その中の「昭和二十年二月十九日の便り」で、銀座への空襲について、以下のように記述しているので、紹介しておきたい。

「・・・・銀座の焼跡へも行つてみました。山野のあとには焼けた楽譜がヒラヒラ風に舞ひ、焼あと毎に立札が立つて山野や御木本旧蹟の地の存在を主張し、名刺受まで設けられて、多摩墓地のやうです。あたりの塀に白墨で『―― 一家無事。・・・・方に避難中』などと大書してあり、それはともかく、いつもの通りあるいてみて、空つぽになった服部と教文館ビルの間がいやに近いのでおどろきました。銀座が丸焼けになつても、これなら大した感慨も湧きさうにありません。郷里の隊で(注;故郷の加古川での入営検査の際)明治学院出の一等兵君から、心配さうに銀座の安否をきかれたことを思ひ出しました。東京の人にとつての恋人であるこの街。自分ひとり知つてゐた筈の小さな一ト隅が、焼跡になつたときいておどろく悲しみは、所謂銀座通には大きいことでせう。・・・・」

 銀座の焼跡を「多摩墓地のやう」だと評している。これに続く「二月二十四日の便り」では

「・・・空襲のため、久々の大顔合せの演舞場もなかなか初日があかず、芝居のない東京は火の消えたさびしさです。・・・・・」などという記述も見られる。