新春歌舞伎の最後は新橋演舞場の右近さんの襲名公演。
息子のタケル君も二代目右近となる親子2人の襲名で猿之助さんとの3人の宙乗りが話題です。
昼の部は昭和51年に現猿翁が三代目猿之助時代に260年振りに復活した「雙生隅田川」で23年ぶりの上演。近松門左衛門の作でいわゆる隅田川物の原典です。吉田家のお家騒動と天狗の祟り、双子の梅若、松若を失い狂乱した母の班女の前、鯉の抜け出した家宝の「鯉魚の一軸」に鯉を戻す「鯉つかみ」など、目が離せない展開に本水を使っての大立ち回り、その上宙乗りまであってお客様は大満足。梅若・松若の2役を演じる6歳の新右近さんがあまりに可愛くてセリフのたびごとに大拍手が起きています。舞台で並んだ中車さんが笑みをこらえているのが可笑しくて客席も笑ってしまいます。初世や二世右團次も得意とした役とのことでこうして次代に継承されていくというのは凄いことだなと感じます。
ここまで書いていて「三代目右團次」、そういえば新川にある「お岩稲荷のお百度石」を奉納したのは「四代目右團次」ではなかったか?と疑問になり、少し調べました。
結論からいえば「二代目=四代目」のようです。発刊されているものでは右團次家の家系図、人名事典、俳優名跡事典には「初代・二代」しかありませんが、1冊だけ「二代目右團次」の項に「参考」として「当時の名鑑類では四代目としている」との記述があり、亡くなった年の雑誌の訃報記事「市川右團次逝く」に「同42年(明治)1月四代目右團次を襲名して今日に及んだ・・・・」という記述を見つけました。他の資料では「明治42年1月に二代目右團次を襲名・・」というのが多いので??ですが、奉納した大正3年の頃は「四代目」と名乗っていたようです。「三代目がなくて四代目?」は疑問ですが、図書館、資料室の方たちも「代数がはっきりしないことは結構あります」とのこと。調べてみるのも楽しいですね。
千穐楽は27日です。