『ギフト、そして自分も楽しむ』をコアとして取材します、 rosemary sea です。
日本橋神茂(かんも)さんの創業は元禄元年(1688年)、というのは前回述べさせていただきました。
今回はその歴史について詳しくご紹介させていただきます。
今回も有限会社 神茂 井上卓(たかし)社長直々にお伺いしました。
始祖とされる神崎屋長次郎さんは大坂の神崎というところの出身。ここから江戸へ出て漁業に従事しました。
それで江戸時代には「神崎屋(かんざきや)」という屋号を用いていました。
代々、「神崎屋茂三郎(もさぶろう)」を襲名するようになり、市場では縮めて「神茂」と符丁で呼ばれるようになりました。
それに伴い明治になって屋号も「神茂」と改めました。
昔から、半ぺんや蒲鉾ひとすじに精進されてきた伝統の味わいはとても評判でした。
明治29年発刊の東京自慢名物会の錦絵(木版画)にも「魚市場神茂」となって詠われています。
「名物と世にめでられて 昔より
変わらぬ味の 月の蒲鉾」
江戸でも明治でも、そして現在も、神茂さんの半ぺん・蒲鉾は"名物"です。
神茂さんには先人の言葉として以下のような意味の教えが遺され、受け継がれています。
「商売はあまり大きくしてはいけない。大きくするとどうしても目が行き届かなくなる。
食べ物は一度まずいものを売って評判を落としたら、二番が続かない。
また買いに来ていただけるように、ていねいにいい品を造ることがいちばん大事。」
珠玉の名言、ですね。勉強になります。
神茂さん、丁寧に心を込めて製品を造り続けております。
多くの方にごひいきにされている所以です。
後に半ぺん製造も手掛けることに。
ここから半ぺんのお話です。
江戸時代、鮫のヒレ(ふかひれ)は、中国などへの幕府の重要な輸出品のひとつでした。
品川沖や浦安沖には鮫場と云われる漁場がありました。
幕府への献上品となるふかひれとなるヒレを取った残りの鮫の身が、日本橋の魚河岸で取引されていました。
今、市場に出回る「はんぺん」のほとんどは鱈(たら)のすり身を混ぜています。
しかし神茂さんの半ぺんは今も鮫だけを使って造っています。
大隈重信さん、家では節句には必ず神茂さんの半ぺんが供されたそうです。
有名人のファンは他にもいっぱいいらっしゃったようです。
歌舞伎の世界では【若手でちょっと筋のいい役者】が出てくるとこう言うのだそうです。
歌舞伎に造詣の深い、尊敬する先輩特派員の滅紫さん、ご存知・・・ですよね。失礼しました。
そうです、かんも=神茂さん。ここからのおでん種の"すじ"=素質があるという意味の"筋"。なかなか粋な隠語です。
このようなところにも登場する神茂さん、昔から名の通ったお店、という証ですね。
神茂さんでは半ぺん、蒲鉾の他に"すじ"も商品としてあります。
決して主力商品ではありませんが、なかなか美味しいと評判です。
半ぺんはサメを主原料としています。
製造工程で大量に出るのが、軟骨や身のついた"すじ"。
これをミンチにし、少量の食塩とつなぎのでんぷんを加え、すり、すだれで巻いて茹でて出来上がります。
おでん種としてこれはこれで立派な役者さん。
日本橋室町1-11-8
東京メトロ銀座線 三越前駅が至近
日本橋三越前 中央通りの大和屋さんとブリッジにいがたの間のむろまち小路を150m、右手前角
03-3241-3988
営業時間 平日 10:00~18:00
土曜 10:00~17:00
定休日 日曜・祝日
神茂さんのホームページはこちら ⇒ https:www.hanpen.co.jp/