「明治になって、英語の「speech」を『演説』と訳したのは福澤諭吉である」という私の中にあったあいまいな記憶が、「ああ、やっぱりそうだったのか」と確認できた説明板が、銀座3丁目にあります
今まで何度も通った場所で、気がつかなかったのが不思議なくらい、見落とすはずのないところに、この説明板があったことは驚きです
説明板には、「明治会堂跡」とあり、この建物の説明が書かれていました
説明によれば、この明治会堂は明治14年(1881)に、福澤諭吉の発案()で建設されたそうで、約3,000人が収容できる当時としては画期的な「演説会場」だったそうです。約200人が入れる食堂もあったとのこと
残念なことに、大正12年(1923)の関東大震災の際に焼失してしまったそうです
説明板が立っているのは、歌舞伎座の裏通りというか北側の通りと木挽町通りの四つ角のところです。昭和通りから祝橋に向かうちょうど中間地点です。
上の地図の赤〇のところです。
東銀座にお出かけの際は、立ち寄ってみてください
この説明板から数メートルのところには、「専修大学発祥の地」の記念碑も立っています。