三十間堀跡(ピンク色の矢印の場所です)
銀座から晴海通りを築地に向かい昭和通りの手前です。
下の古地図は、嘉永2(1849)年に発行されました(黒色の矢印の場所です)。
左右に藍色で、示されているのが堀川です。二つの矢印の場所は、ほぼ同じ場所です。この辺りを歩くと道路が盛り上がっています。
京橋川から汐留川を結んでいました、慶長17(1612)年徳川幕府の命により、舟運の便を図るため主に西国大名が開削しました。堀の幅が三十間(約55メートル)あったことからこの名前が付きました。文政11(1828)年には十九間に狭められました。昭和27(1952)年には太平洋戦争後の瓦礫の山を、処理する為に埋め立てられました。