隅田川に架かる「中央大橋」。この橋の白く高い主塔をバックに、今年もたくさんの桜の花が咲き乱れ、人々の目を楽しませてくれました。
この橋桁の上流側、真ん中辺りを見てみると、隅田川の他の橋には無い、変わったものがあることがわかります。フランスのパリから東京へ友好の印として贈られた像。オシップ・ザッキン作の「メッセンジャー像」です。
フランス・パリを流れるセーヌ川は、東京・隅田川の友好河川。友好締結の際に当時のパリ市長であったジャック・シラク氏より、この像は贈られました。
この像を一番近くから見るためには、橋上の真ん中まで歩いて行く必要があります。ですが、像は川の上流を向いているので、「どうして顔を向けてくれないの?」という感じで、像の前側がよくわかりません。
どうにかして前側から観賞する方法はないものか、と思っていたところ、同じような像が山梨県にもあることを知り、この春の桜の咲く時季に見にいってまいりました。
像があるのは、山梨県北杜市にある「清春芸術村」。山々に囲まれた山里に美術館や建築が点在する、すがすがしいスポットなのですが、特に春は甲斐駒ヶ岳をバックに桜が咲き誇る場所として有名で、多くの観光客が訪れます。
この清春芸術村は、昨年に亡くなられた銀座8丁目・「吉井画廊」の吉井長三氏により、廃校の跡地を利用して作られました。桜の木がたくさんあるのは、かつて小学校があった名残です。
実は我が家は山梨県好きで、山梨の桜や桃の花を毎年見に来るようになって、はや15年。この清春芸術村の桜も何度か見に来たことがあるのですが、まさかこの場所にメッセンジャー像があったとは・・・。驚きでした。
清春芸術村の入り口を入るとすぐに「ラ・リューシュ」という建物があるのですが、来訪者を迎えるような形でこの像は立っています。
顔は平面的ながらも、左と右で段差があるのが特徴的。また、脚は強靭さがとても伝わってきます。
左腕はうしろから右肩に回していますが、
一番印象的だったのは、体の前側で帆船を大事そうに抱きかかえる右腕が、とても力強いところです。
この像の作者はオシップ・ザッキン。ロシア出身の彫刻家で、フランスのパリで活躍。パリにある「ラ・リューシュ」という芸術家が集まる建物に滞在していたことがあったようで、清春芸術村の「ラ・リューシュ」の前に像があるのはその理由なのでしょう。
メッセンジャー像は1937年に作られ、その年の「パリ万国博覧会」に出品されています。元々は木造の彫刻だったそうで、その後に清春芸術村や中央大橋などにある、いくつかのブロンズ像が作られたようです。
隅田川の中央大橋には、このブロンズ像に関する説明レリーフが設置されています。
そこには、
「当時の万国博覧会の案内書によると、この作品は希少木材を求めて海外に船を派遣するフランスの守護神を表したもの」
とあり、さらに
「像が抱いている帆船は、パリ市の紋章に描かれている帆船を思わせる」
と書いてあります。
パリ市の紋章をWikipediaで見てみたところ、確かに紋章の中央部には帆を張った帆船が描かれ、
「FLUCTUAT NEC MERGITUR」というラテン語の標語が付されています。これは『たゆたえど沈まず』とか、『漂えど沈まず』という意味の言葉。
パリの街は東京と同じように、かつて水運で発展した街。元々この言葉はパリ周辺の水運組合の言葉だったそうで、船員達の強い意志が表されています。
「波で揺らぐことはあっても、けっして沈みはしない。」
パリは革命や洪水、世界大戦などの歴史に翻弄されてきた街ですが、この言葉はまさにパリを象徴する、意味深い言葉になっています。
深い意味が込められた帆船を抱く、メッセンジャー像。
このメッセンジャー像に、そういうパリの真髄を表すメッセージが込められているのだとすれば、東京はパリからの大切なメッセージを受け取っている、ということなるのでしょうか。
パリからやってきた使者により、中央大橋から隅田川の上流に向けて発せられるメッセージ。それを東京の歴史ある永代橋がお迎えし受け取るという構図。
永代橋は隅田川を見守り続け、江戸・東京の隅田川の門として長らく君臨してきた、お迎え役としては一番適役の橋。
メッセンジャー像が隅田川の下流ではなく上流を向いているのは、そういったところに理由があるのかもしれません。
この記事を書いている折に、パリでテロが発生したというニュースが・・・。
『たゆたえど沈まず』という言葉。あらためてとても意味深い言葉に感じられてしまいました。