前回もオランダ館を紹介しましたが、カピタン(オランダ商館長)のブロムホルツ(江戸時代後期の商館長)と娘たちの間の手紙が残っていますので、それを参考にオランダ館内部や将軍拝謁などについて想像してみましょう。(「長崎屋の娘」タイトルのミステリー仕立ての小説が出ています。興味のある方は読まれたらいかがでしょうか?)
長崎屋源右衛門は薬種問屋として、中央通りの角地には唐人参座(朝鮮ニンジンを中心とした薬の販売店)を持ちその隣に広大な土地を所有していました。長崎屋の屋敷の裏にオランダ館がありましたが、入り口は本石町三丁目新道側にあったと考えられます。現在本石町新道は「時の鐘通り」と名づけられています。オランダ館の隣に江戸最古の「時の鐘」があったためです。
長崎屋の敷地は広く、オランダ人以外の人々の宿舎と、献上品などを格納しておく土蔵、馬の厩舎も敷地内に備えていたと考えられます。敷地の大きさは千坪(3,300㎡)以上と考えられます。
一階の入り口のすぐ左わきには扉があって、そこを開けて2階に上ることができます。2階に上るには警備員の許可を受ける必要があったと考えられます。
竈の煙が2階のカピタンの執務室に流れ込み苦労したという著述が残っていることから、一階の左側に台所が配置され、その右には食堂、そして2階での面談に来た人々が待機する待合室がその右にあったと予想されます。竈のある台所の扉は長崎屋の屋敷と通じており、そこが長崎屋の人々との交流の窓口であったのでしょう。長崎屋側で調理した食事の提供などがあったかもしれません。寿司やてんぷらなどもオランダ人は食べたのでしょうか?
オランダ館の2階右の便所・浴室でh「おまる」や尿瓶を利用し、幕末近くには便座椅子や腰掛式の便器のようなものを使用していたのではないでしょうか。
オランダ宿(館?)は寛永年間(1624~1644)に始まり1850年頃に終わりましたが、参府の合計回数は166回に上りました。家光の時代には毎年参府していましたが、後期になると4年に一度に変わりました。
長崎屋はカピタン一行が到着する2~3日前から非常に忙しい毎日を過ごします。2階の修繕を行い、在府の長崎奉行所役人の検分を受けます。到着の前夜から町奉行所の普請約2名、同心2名が長崎屋に詰めて警備に当たります。これらの人々がオランダ館の1Fの警備員室に詰めていたのでしょうか。
「旅館(オランダ館を指す)の門には二重の番所ありて、絶えず其の周囲を巡邏し、又通行人の立ち止まることを許さず」という文章が残っていますので、警備は非常に厳重であったと予想されます。北斎の浮世絵としてカピタン一行と江戸町民が窓を介して交流する姿が描かれ、現在も新日本橋駅入口に看板として掲げられていますが、これは北斎の脚色と考えられます。鎖国の時代ですから、オランダ館の1階に窓があったとはとても考えられません。
カピタン一行が滞在しているときには、オランダ東インド会社(Vereenigde Oostindische Compagnie=VOC)の幔幕を長崎屋の表玄関(本石町三丁目道路)に掲げていました。下のどちらの幔幕なのかは、不明です。江戸幕府は鎖国を政策として掲げていましたから、オランダ東インド会社という私企業との取引を行っていたという建前で動いていました。
カピタンの衣装は下図のようなものでしたので、江戸の人々にとっては物珍しく興味を引いたに違いありません。
オランダ使節団の構成は以下の通りです。
l カピタン・書記・医師などの隋員を含めて4人のオランダ人
l その他、長崎奉行所の検使、通弁、書記、料理人、献上物の運び人足など
総勢60人程度といわれています。これだけの人数が長崎から江戸まで移動するのですから、壮観ですね。
オランダ館の屋敷にすべての人を収容できませんでしたので、敷地内の随行員宿舎に一部を収容し残りは近隣の旅籠に収容したようです。カピタン滞在時には、多くの金銭が日本橋界隈に落ち非常に賑わったそうです。
文政5年(1823)当時の将軍(11代将軍 徳川家斉)への拝謁の段取りは次の通りです。
l 将軍への拝謁日: 4月6日
l 卯の刻(午前六時)長崎屋出立
l 駕籠を降り城内に入る
l 百人番所で茶を飲む
l 待機
l 御殿に到着
l 江戸在府の長崎奉行とカピタンが拝謁
拝謁終了後、幕閣の老中、若年寄、側用人、寺社奉行、北・南町奉行の屋敷を回り長崎屋に戻りますが、これで終わりません。蘭学好きの大名、幕府の医官、天文方から旗本、諸大名、民間の蘭学者などが阿蘭陀館で待っているのでこれらと面談し、やっと長~~~~~い一日が終了します。この後ほっとして、リキュールでも飲んだのでしょうか?
参考文献:
オランダ宿の娘 葉室 麟 ハヤカワ文庫
城内誠一: 江戸最初の時の鐘物語(流通経済大出版会)
城内誠一: 江戸のオランダ人定宿「長崎屋物語」(流通経済大出版会)
片桐一男: 江戸のオランダ人(中公新書)
片桐一男:それでも江戸は鎖国だったのか(吉川弘文館)
東京都中央区教育委員会: 中央区沿革図集(日本橋編)