新川にある「越前堀児童公園」は最近リニューアル工事が完了し、きれいに整備されました。子どもたちの遊び場としてはもちろん、地域住民の憩いの場としても親しまれています。また近隣のオフィスで働く人にとってもお昼休みに一息つくオアシスとして愛されています。地域のイベントである「児童館まつり」もつい先だってこの場所で開催されました。
この辺りは江戸時代に掘割があり、福井藩・松平越前守の中屋敷があったことから「越前堀」と呼ばれたそうです。その名前が今でも公園の名に残されているのは興味深いところです。
また、「新川」の地名は江戸時代初期に「江戸中島」と呼ばれていた地域を江戸幕府が整備し、さらに掘割を設けて二つの地域に分割しました。北側を「箱崎島」、南側を「霊巖島」と呼びました。新しく掘削された運河は「新川」と呼ばれ、今の町名につながっています。
越前堀児童公園の一角に「霊巖島」のゆかりを示す石碑が建っています。かつてこの地にあった霊巖寺に因んでいることが説明されています。寺院そのものはその後深川に移転しましたが、地名にはその名が残りました。
池波正太郎の人気作品「鬼平犯科帳」第7集に所蔵されている「掻掘(かいぼり)のおけい」に霊巖島が登場します。その記述を追ってみると・・・。
「新川は、もとの霊巖島を南北二つに割っている川で、両岸には酒問屋がびっしりとたちならんでいた。新川には西から東へ、一ノ橋から三ノ橋まで三つの橋がかけられてい、・・・」
当時の面影は今やほとんど残っていませんが、近くの亀島川の雰囲気にはどことなく往時の香りを感じることができます。
歴史の香りを楽しみながら散策するのもいいのではないでしょうか。是非お立ち寄り下さい。