一石橋 (八重洲1丁目11番先)
現地の中央区教育委員会の説明板(中央区民文化財・下左写真)によると、橋名由来は橋の北の本両替町に幕府金座御用の後藤正三郎、橋の南の呉服町には、幕府御用呉服所の後藤縫殿助の屋敷があり、後藤をもじって五斗、五斗+五斗で一石と名付けたとしている。これには異説もあると、「中央区ものしり百科」にも次のように紹介されている。江戸初期、使用禁止となった永楽銭一貫文に付き、米一石と取りかえた場所がこの橋であったことに由来する。
また、南橋詰には「一石橋迷子しらせ石標(東京都指定文化財)」が有りこの付近は、江戸時代には大勢の人々で賑わう場所であったようだ。迷子になると親子が一生離れて暮らすこともあったとか。この石標は唯一江戸時代からのものと記載され貴重な歴史資料とされている。
また、この西側には2020年以降に日本一の超高層ビルが計画されていて、既存ビルの解体等が進められている。多くの人の注目を集める地域になっていくのではないか。
上部を高速道路が通り、一石橋の下部は水面からの高さが低い。
一石橋はまたの名を八見橋として、江戸名所図会などにも紹介されている。この橋上から自身を含めて八つの橋が見えたからだという。今は道三堀や外堀が埋められて、残っているのは常磐橋(解体改修工事中)、一石橋、江戸橋、日本橋の四つになっている。道三橋、銭瓶橋、鍛冶橋、呉服橋の四つは、現物の橋はないが、説明板が設置されているところもある。
下左の写真、北側常磐橋方向。改修工事中の旧い常磐橋は常盤橋に隠れて見えない。右の写真は日本橋方向、高速道路の橋げた等で、江戸橋は見えないが日本橋はほんの少しそれらしいものが見えた。
下左は、道三橋跡、下右写真は呉服橋跡説明板。
下写真は鍛冶橋跡説明板。