どなたかが「通り3丁目」バス停名について書いておられるのを読んで少し書きたくなりました。 私は「佃」の住民なので、東京駅へ行く際は、中央大橋を通って、住友ツィンビル前→新川→亀島橋→八丁堀2→通り3丁目という路線バスを使います。日本橋へ行く際は、「通り3丁目」で降りて中央通りを少し歩くことにしています。 したがって、この「通り3丁目」というバス停名は、かなり馴染み深いものです。
「通(とおり)」という旧町名は、現在の日本橋日本橋1~3丁目について、江戸時代から1972年まで使われたもの。大通り沿いに面した町であったことから「通」と名付けられたもので、街道沿いの表通りには大店が軒を連ね、江戸を代表する繁華街として栄えたものです。(『ものしり百科』173頁)
この停留所近くの八重洲通り中央分離帯には、「ヤン・ヨーステン記念碑」があります。日蘭就航380年を記念して1989年に設置されたものです。(『ものしり百科』21頁)
かつての江戸随一の繁華街であった中央通りを進むと、右に高島屋日本橋店、左に丸善書店があります。高島屋日本橋店は1933年に完成され、2009年には百貨店建築として初めて重要文化財に指定されています。(『ものしり百科』21頁、129頁)
日本橋の左手前際には、最近「日本橋観光案内所」が設置されました。
三越日本橋本店前には、「奈良まほろば館」があります。私はよく訪れます。
私は、日本橋近辺を訪れた際は、帰途は、永代通りを永代橋まで歩きます。
永代通り、コレド日本橋アネックス広場には「名水白木屋の井戸」の碑があります。(『ものしり百科』21頁、134頁)
その右隣りには「漱石名作の舞台」についての碑もあります。
さらに、永代通りを歩くと「其角住居跡」の碑もあります。(『ものしり百科』23頁)
さらに進むと、霊岸橋を通ります。川の機能を果たしている橋です。橋上から眺めると、先に「新亀島橋」「亀島橋」が見えます。
通例では、永代橋際から隅田川のリバーテラスを川風に吹かれながら帰るのが好きなのですが、今日(7月13日)は、ここで八重洲通り、亀島橋際へもどることにしました。
このあたりは現在の地名では「新川」と呼ばれていますが、昭和46年までは「越前堀」と呼ばれていました。(『ものしり百科』174頁)商店名などにその旧地名が残っています。
今日(7月13日)は富岡八幡の例大祭。写真は住友ツインビル前の広場の様子です。
ここまで来ると、もう中央大橋は目の前。右に聖路加タワー、左に東京スカイツリー、永代橋等を見ながらこれを渡ると佃に入ります。