夏休みは帰省して、地元で過ごした方も多いのでは?私も、その一人でした。私の地元「倉敷」は、昭和5年に日本で初めての西洋美術館が東京ではなく、いち地方都市に開設された「大原美術館」に代表される観光地ですが、民藝店が多いのも特徴です。お土産物屋さんでは無く、地元で愛用されている器や、手仕事の作品を販売しているお店です。
息子さんの倉敷ガラス
こちらは、倉敷ガラスといって、吹きガラスの温もりが味わい深い器たちです。
左がお孫さんのいかご・右がおばあちゃんのいかご
こちらは、いかご。いぐさで編んだ手提げかごです。倉敷は、昔、いぐさの産地。畳表の仕事の合間に作られた買い物かごです。
民藝店が多いことに、今まで不思議とも感じませんでしたが、近年、ナチュラルな生活スタイル提案の雑誌に、二代目の継承者の方が取り上げられているのを、良く目にします。
倉敷ガラスは、息子さんが。いかごは、お孫さんが。民藝の世界で、きちんと後継者がいるというのは、大変稀有なことではないでしょうか?
時代に合わせた工夫で、今の倉敷ガラスのコップは、口当たりの良さを凝らし薄くなっています。今のいかごは、持ち手がしっかりとより密に編まれています。
このような民藝作品を東京で見られる機会があります。
日本橋高島屋で、8月30日(水曜日)~9月11日(月曜日)までの民藝展です。
「民藝」について調べてみたところ、、、
大正15年に柳宗悦・浜田庄司・河井寛次郎らは、各地の風土から生まれ、生活に根差した生活道具には、用に則した健全な美が宿っていると提唱し、名もなき職人の手から生み出された日常の生活道具を「民藝」と名付けました。
柳が全国各地から集めた民藝を東京国立博物館に寄贈しようとしたところ、博物館側から断られ、実業家大原の援助により東京駒場に日本民芸館を開設しています。
これで、なんで倉敷に民藝店が多く、そして、私が、大原美術館に行くたびに、順路に従うと、ルノアールやルオーやエルグレコを観賞した後に、民藝館に回るあの違和感の謎が解けたように思います。
どうぞ、日本の手仕事をご覧ください。