日本橋本石町と言えば、かつては金座、そして現在は日本銀行のある場所として有名です。 そして、日本橋本石町四丁目5-16に鎮座され、地元の方々の崇敬を集めているのが、「白旗稲荷神社」です。
8月のある金曜日、参詣に行ってきました。 境内は丁寧に掃き清められており、御手水を使わせて頂き、二礼二拍手。
お社への参道の周りの椿、頭上には厳しい夏の熱射を遮る"棗(ナツメ)"が、優しく迎えてくれました。
大変清々しい気持ちになりました。 お世話をされている町会の方々に深く敬意を表します。(参拝出来るのは、火、金曜日だけの様です。夜間は施錠している様です。御朱印のお願いは難しいと思います。)
ご由緒は、沿道からでもご覧になれます。白旗稲荷神社崇敬会、日本橋本石町町会がご掲示の、こちらの御来歴をご覧ください。
ご興味のある方の為に、御来歴を書き写しました。(一部ひらがなを加えたり、句読点を加えましたのでご了承ください。)
「白旗稲荷神社 来歴
抑抑 白旗稲荷神社は東京府武蔵国(旧日本橋区本銀町壱丁目拾八番地)官有地白旗橋詰にあり、御祭神は宇迦之御魂神。古来白旗稲荷と称す。享保三戌戌年 当山派修験大寿院元明が別当職たりし以来、神勤す。八世小野秀麿に至り明治六年神勤を免ぜられ、神田神社兼勤社となる。鎮座年代不詳なれども社伝に依れば、源義家が奥州下向の途次、社頭に白旗を樹てしに始まると云ふ。また、「新編江戸誌に三宝院派別当大寿院 和銅4年(711)鎮座」とあり、何れか詳かならずと雖も、本区最古のものなるべきか。 往時、武蔵国福田村の一部にして、江戸開府の頃には神田八丁堀乃ち龍閑川界として以南を江戸とし以西を神田とせり。 町名は江戸時代に銀工の多数居住せしに依り起これりと云ふ。 当社は大正拾二年九月壱日大震火災の際烏有に帰したるも幸いご神体を奉避し以来区画整理にて当町六番地へ換地指定、町会員並に建築委員の努力により再建の準備を整え昭和四年拾月建築に着手す。昭和五年五月拾五日完成。同時に大祭礼を行ふ (昭和五年五月 旧本銀町四丁目会史に依る)
昭和四十九年二月 東北・上越新幹線東京駅乗り入れのための用地買収に応じ、現在地(本石町4-5-16)に移転、現在に至る
昭和四十九年四月六日・七日 新社殿への遷座祭・奉祝祭をとり行う
昭和六十一年十月末日 白旗稲荷神社崇敬会設立
平成六年四月六日遷座二十周年記念祭を行う
白旗稲荷神社崇敬会
日本橋本石町町会 」