8月に火事のあった築地場外市場から新大橋通りを隔てた向かい側(国立がんセンターの北東側)には、中央区立の「市場橋公園」があります。
そして、その公園の一角に「東京盲唖学校発祥の地・日本点字制定の地」の記念碑は建っています。
この碑には以下のような文字が刻まれています。
東京盲唖学校発祥の地
日本点字制定の地
1879(明治12)年 ジョサイア・コンドル設計による校舎完成
1880(明治13)年 楽善会訓盲院として開港
1887(明治20)年 官立に移管 東京盲唖学校と改称
1890(明治23)年 日本点字制定
2010(平成22)年 11月1日建之
筑波大学附属視覚特別支援学校
筑波大学附属聴覚特別支援学校
記念碑実行委員会
この記念石碑は、視覚障害者にもわかりやすく作られています。赤御影石に、学校の形をレリーフにしたブロンズがはめ込まれ、点字と墨字の年譜が書かれています。石碑のデザイン、文字、ブロンズ制作などについては、筑波大学人間総合科学研究科芸術専攻の方々からの支援があったようです。
日本の視覚・聴覚障害者に対する教育について調べてみると、1873(明治6)年、京都の小学校内で聾唖教育が開始され、数年後には盲教育も始まりました。そして後に「京都府立聾唖学校」になりました。
東京では、1875(明治8)年に盲人教育施設の設立運動が始まり、1880(明治13)年に「楽善会訓盲院」が開校、同時に聾教育も行われています。その後、1885(明治18)年に文部省直轄となって「東京盲唖学校」と名前を変えました。戦後、東京教育大学の附属校となり、現在は「筑波大学附属視覚特別支援学校」「筑波大学附属聴覚特別支援学校」となっているそうです。
横2×縦3の6点式「点字」は、1890(明治23)年に東京盲唖学校の石川倉次によって考案されました。これが「日本点字」として制定されて、現在国内で広く使用されています。
「東京盲唖学校発祥の地、日本点字制定の地」記念碑の場所
東京都中央区築地4-15-2 市場橋公園内
最寄り駅 地下鉄日比谷線築地駅or東銀座駅、都営大江戸線築地市場駅