天気のよい日には、ばあやは私を背中に負ぶって方々の縁日へ連れて行ってくれた。浜町の家から一番近いところにある清正公、人形町の水天宮、大観音、牢屋の原の弘法大師、時には日本橋通りを越えて西海岸の地蔵などへも行った。中でも大観音は活版所と同じ町内にあったので、頑是ない時から最も馴染が深かった。今は彼処がどんな風に変っているか知らないが、昔は表通りからちょっと奥へ入り込んでいて、石甃の道の両側に、浅草の仲見世を小さくしたような玩具屋の店が並んでいたので、私は必ずその前を通ると何かしら玩具をねだって帰った。 (50)
When the weather was fine, Granny often carried me piggyback to various temple fairs and markets - to the Seisho-ko, which was closest to our house in Hama-cho; to the Suitengu in Ningyo-cho; to the O-Kannon, and the Kobo Daishi Temple in Royanohara; and sometimes as far as the Nishigashi Jizo beyond Nihombashi Avenue. Of them all I felt most at home at the O-Kannnon, since it was right in our neighborhood. I have no idea what it looks like now; but it used to be set back a bit from the street, and numerous toy shops lined both sides of the flagstoned path that led to the Main Hall - like a smaller version of the celebrated Nakamise arcade in front of the Asakusa Kannnon Temple. (39)
清正公(清正公寺;浜町公園内にある加藤清正公を祀る寺)
水天宮(安産・水難・水商売に御利益のある神様で、福岡県久留米市にある水天宮を総本社とする)
大観音(大観音寺;明治13年当地に創建。本尊の銅仏は、北条政子が井戸から掘り出した古鉄の正観音の御髻から霊験を得て、鎌倉に創建した新清水寺に祀られていたものだという)
牢屋の原の弘法大師 (大安楽寺;伝馬町牢屋敷跡であったことから誰も住み着かなかったため、大倉喜八郎と安田善次郎が土地を寄進して、両氏の名(「大」と「安」)より大安楽寺と号して明治15年に創建された。高野山から弘法大師の像を遷座したことに因み新高野山と号した)
西海岸の地蔵 (日本橋西河岸地蔵寺教会;奈良時代の僧・行基が彫ったとされる地蔵菩薩を安置する)