「郡代屋敷跡」の説明碑は、中央区馬喰町二丁目の久松警察署東日本交番の横の植栽の中にあります。
説明碑から上を見上げると白亜の殿堂らしき立派な建物があります。 日本橋女学園です。
嘉永三年新刻、安政六年未夏再板の尾張屋清七板の東都下谷絵図では、郡代屋敷の右(東)に浅草御門、両国広小路、両国橋が表示されています)が、これはずっと以前の明暦の大火(西暦1657年)の後に設置されたものですね。
この絵図には、薬研堀も見えます。 中央区の町々は、江戸時代に計画されて出来た町なので、道は大きくは変化していないと思います。絵図を持って散歩するのも楽しいですね。