台風一過で久しぶりに天気がよかったのでぶらり、佃へ行ってきました。
現在の佃は江戸時代の石川島と佃島が起源となっています。
今日は旧佃島、現在の佃1丁目付近をぶらぶらとしてきました。
皆さんもご存じのとおり、佃島は摂津国西成郡佃村の名主森孫右衛門に従って
江戸に下った漁師たちが築いた島です。
住吉神社は1646年に摂津国西成郡佃村の住吉神社を分社したことにはじまります。
住吉神社の陶製扁額と水盤舎はみどころのひとつです。
扁額は有栖川宮幟仁親王の染筆によるものです。
また、水盤舎の欄間部分には帆をはった回船や潮干狩りの風景など、
佃島の風景が彫られています。
水盤舎の水盤の背面には「天保十二年 丑正月 白子組」と刻まれています。
住吉神社陶製扁額・水盤舎どちらも区民有形文化財に登録されています。
また、住吉神社の境内には五世川柳・水谷緑亭句碑があり、「和らかでかたく持ちたし
人こころ」の句が刻まれています。
住吉神社の鳥居をくぐり隅田川方面に歩くと佃島渡船場跡の石碑が目に
入ってきます。渡船は昭和39年に佃大橋の完成で廃止となりました。
近くには江戸時代から続く3件の佃煮屋さんが今でも営業しています。
佃島渡船場跡の隣には佃まちかど展示館があり、獅子頭や神輿を
見ることができます。
住吉小橋を右手に旧石川島方面を見ると石川島灯台跡を確認することが
できます。また住吉水門をまじかに見ることができます。
水門は通常、船舶の出入りのため開放していますが、高潮、津波時には
閉鎖され地域の住民の生命・財産を守るそうです。
佃を歩いていると、現役の井戸がいくつかありました。
そして佃小橋です。佃小橋には住吉神社の大祭で使われる大幟の柱が腐敗
防止のために川底に埋められています。白い看板には「此の場所には
江戸時代後期寛政拾年(一七九八年)徳川幕府より建立を許された
大幟の柱・抱が埋葬されておりますので立入ったり掘り起こしたり
しないでください。 佃住吉講」と書いてありました。
そして、最後の写真は佃小橋の背後にそびえたつ「リバーシティ21」の
高層マンション群です。この情緒ある佃の街並みにマッチしているのか?
していないのか?私にはよくわからなかった。・・・