築地市場へ行ってきました。「築地」とはだれもが知っているように海や沼などを埋め立てた土地のことである。1657年明暦の大火により、日本橋横山町にあった「江戸浅草御坊」が消失し、その代替地として幕府から下付されたのが八丁堀の海上、その海を埋め立てた土地が築地のはじまりである。簡単に書くと築地は寺町・武家屋敷⇒海軍⇒中央卸売市場へと変換していったのである。
そして現在では、"TSUKIJI"言えば世界的にも市場の街として有名である。今回はそんな街のレアの情報探しの街歩きとなりました。
この築地には日本初のホテル「築地ホテル館」があったことは有名ですが、案外知られていないのが現在、築地市場場内に宿泊施設があることです。その名は「築地市場厚生会館」です。場所は勝どき門口のおさかな普及センター資料館の右隣の位置となります。マグロのせりの見学などの参加する人のご利用が多いようです。
こちらの写真は場内市場です。海幸橋門を入り魚がし横丁を目指します。最初に紹介したいのが「茂助だんご」です。童謡「だんご三兄弟」のモデルとなったお店です。作詞をしたメディアクリエーターの佐藤雅彦さんが贔屓にしているだんご屋さんとのことです。
右の写真は皆さんよくご存じの吉野家築地1号店です。創業は日本橋の魚河岸で明治32年です。屋号の「吉野家」は創業者松田栄吉氏の出身大阪吉野町から名づけられたそうです。
場内市場には本屋さんはもちろんのこと図書室まであります。そのほかにも診療所や歯科医院もあり少しびっくりしました。
そして場内市場と言えば、貨物車両やターレが走る活気ある景色です。場内はトラック、フォークリフト、ターレが所狭しと走っています。ある意味本当に危険なので十二分に注意を払う必要があります。やはりなんと言っても、一番目につくのがターレットトラック通称ターレです。このターレ、小回りが利きます、狭いスペースでも回転が可能です。なんと最大積載量は1000㎏だそうです。現在ではほとんどのターレが充電式のモーターが動力となっており音もとても静かです。もちろん小型特殊自動車として登録すれば公道も走ることが可能です。今回は整列したターレが充電する写真も撮ることができました。(柱から配線が各ターレにつながり充電しています)また、一番下にある写真は正門の詰所横にある拾得物掲示板です。(今日の落し物は電話子機、生カキ、くじらベーコンと記載されていました。仕入れたばかりの食材をターレで運ぶ際に落としてしまったのでしょうか?築地市場ならではの話です。もっと不思議なのは電話子機です。事務所で使っていた子機を外に持ち出し落としたのでしょうか?う~ん、それしかない!)
また、築地場内には都バスが停留所があります。ですからトラック、ターレと同じ場内の道をバスが走っているのです。そのバスはJR新橋駅から築地中央市場行き(循環)市01系統です。平日、新橋駅始発5:02と早いですが築地市場最終も都内23区なのに17:20とメチャクチャに早いので注意が必要です。それに日曜・祝日の運行はありません。これは築地市場利用のお客様&関係者専用バスと言っても過言ではないでしょう
それはさておき、1935年築地市場開場と同時に汐留駅・東京市場駅の間に貨物線が開業しました。築地市場が扇型をしているのも鉄道の長いプラットフォームを敷地内に確保するためだったといわれているのは周知の事実です。その引き込み線の証拠となる踏切跡も見てきました。こちらは住所では銀座8丁目となるそうです。
右の写真は築地市場の青果門より引込線のあった朝日新聞社横の通りを撮ったものです。踏切跡はこの先にあります。
そして、最後の1枚は波除神社の紅葉し始めた枝垂れ銀杏です。
きっと三の酉の頃には、もっときれいな黄色となっていることでしょう。