「圭一郎は、勤め先である浜町の酒新聞社を休まねばならなかった。」
昭和初期に発表された私小説「業苦」の冒頭にこんな一文がある。
東京の話であり、浜町というと明治座や公園があり、地下鉄の駅もある中央区浜町が思い浮かぶ。
しかし、読み進めていくと主人公の勤め先が永代橋の近くにあることがわかる。
この頃の郵便地図を見ると京橋区の霊岸島(現在の中央区新川)に浜町という地名が見つかる。
新川の地名の由来にもなった運河の傍に主人公が勤める会社があったようだ。
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〇「霊巌島濱町」という地名が確認できる
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小説には故郷と妻子を捨てて東京に来た主人公の苦悩や生活の困窮ぶりが描かれるのだが、大正期の中央区新川の様子が風情ある筆致で描かれている。
当時の新川は関西方面から届く日本酒を荷揚げして保管する蔵や酒販関係の企業が多かったようだ。
「(略)新川の河岸には今しがた数隻の酒舟が着いた。(略)問屋の若い衆達が麻の前垂にねじり鉢巻でこもかぶりの四斗樽をころがしながら倉庫の中に運んでいる(略)威勢のいい若い衆達の拍子を揃えた端唄に聞くとはなしに暫く耳を傾けていた。」
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私小説は自分の体験を基に書かれるものだが、「酒新聞社」も社名は異なるものの実在した会社であり、磯多が勤務していたことも事実だ。 会社の人と折り合いが悪かったのか、半年ほどしか続かず無断退社している。
ちなみに酒新聞社のモデルになった会社はもうないが、当時の社長が設立した別の会社は新川の地で営業を続けている。
また、酒樽の荷揚げが行われていた運河・新川も、昭和23年に埋め立てられてしまい、磯多が描写した風情のある光景は、今では見ることができない。
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〇現在は新川之跡の碑が残るのみだ
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