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勝どき・豊海歴史資料展示館 晴海の名前の由来

[銀造] 2018年1月15日 14:00

 「勝どき」は、中央区で一番新しい地域で、そして現在一番活気のあるエリアでしょう。 人口は、平成30年1月1日現在 26,533人で、中央区の人口156,823人の約17%を占めています。(勝どきを含む月島地区は、72,539人で全体の46%を占めます)

新しい方々が転入されて、「勝どきって、どんな町? 豊海って、どんな町?」とお思いになられるでしょうか。

そんな時、勝どき・豊海歴史資料展示館に展示されている神輿とその説明などを読むと良く解ります。

神輿の写真

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 神輿の横の説明、『二号地大神輿について』

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 火消しの纏、「す組」です。

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纏の説明(第一区六番組の纏について)、

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 もっと詳しく知りたい方は、

中央区郷土天文館が発行の、「区政70周年記念 中央区のあゆみー戦後の発展とまちの変化」を読むと歴史年表から、そして写真入りの解説で良く理解できます。

そして、中央区観光協会発行の、 「中央区ものしり百科」で、旧町名の由来を確認すれば、、『晴海は、昭和12年7月に晴海町一丁目から六丁目ができた。町名は当時の京橋区会議で「いつも晴れた海を臨む」という希望から決定された住居表示の実施により「町」の字がなくなった。』という事も知ることが出来ます。 

 蛇足かもしれませんが、昭和40年から昭和62年までの15次にわたる住居表示の実施により姿を消した町名があるようです。 大体は、宝町は現在の京橋1~3丁目になりましたが、 大体は簡素化で、『新富町が新富に、入船町が入船に、湊町が湊に』という風になったようです。

 晴海は、これからも美しい東京湾を臨み、発展していきますね。