2年後にオリンピックを迎える東京ですが、前回(1964年)の東京五輪 の頃に銀座にアイビールックの服を着た男性やロングスカートの女性が 大きな紙袋を抱えて歩く「みゆき族」が誕生しました。 ご想像の通り、皇居そばの日比谷公園から、銀座の中心部を抜け、築地市場 の手前辺りを結ぶ「みゆき通り(全長約1.2km)」に因んだ名前です。 しかしこの通りは元の名前を「山下橋通り」と言っていたそうです。
戦争で幻となった1940年の東京五輪招致が決まったその数年前に、東京を 世界に通用する美しい街にと考えた画家の藤田嗣治、詩人の西条八十など の文化人らが銀座を美化して、世界に恥ずかしくない街にしようと企画した そうです。 その結果、明治天皇が皇居から築地にあった海軍兵学校、海軍大学校の 卒業式などに臨席する際に行幸路とされた場所を『みゆき通り』と命名した とのことです。従って「みゆき」の漢字は「御幸」となります。
銀座みゆき通りはこういった人々の熱意から生まれ、愛されて根付い たストリートなんでしょうね。