写真(桂川屋敷)は、区教育委員会設置 史跡案内板(築地7丁目十番地)
桂川家は享保年間(1716-1736)ごろから築地に居を構えていました。
和欄外科医の奥医者として名を馳せ、登城のさいは11名の供を従え、旗本も道を譲るほどでした。
明治維新の前(1863)に築地で大火があり桂川家の向いから出火、類焼は免れたものの火災の直後に「柳生対馬守」の屋敷を譲り受け転居しました。
面積は1200坪余りあり、広い庭がありました.。明石堀(あかつき公園)を挟んで、中津藩 奥平家の屋敷があり、福沢諭吉が蘭学を教えていました。
(「名残りのゆめ」 甫周 長女 みね追憶談 より)