観世能楽堂開場1周年・音阿弥生誕620年記念特別公演として、今日では滅多に上演されることのない「古式謡初式」が4月25日に上演されました。「古式謡初式」は江戸時代正月に江戸城本丸大広間にて将軍・御三家・諸大名列座のもと毎年行われていた幕府の公式行事です。数年前にこんな記述を読んでから何とか一度見てみたいと念じていました。「正月3日の御謡初には諸大名が登城して、島台を献上し、その返礼に将軍自ら大名に盃を下賜した。その間に能の四座・一流の太夫の謡が行われ、それが終わると観世太夫は室町幕府以来の伝統として将軍が脱いだ肩衣を拝領する、その後諸大名も将軍を真似て肩衣をその場に脱ぎ捨てる。一同退座ののちそれらの肩衣が観世太夫へ渡されるが、諸大名は翌日、観世太夫宅へ使者をやり、褒美を与えてその肩衣を回収した。」(「江戸博覧強記」)
企画が発表されてからなかなか詳細がわからず何度か問い合わせしたほどで今日は本当に楽しみにやってきました。入り口で写真を撮らせていただき、受付を済ますと、何と「開場一周年記念品」を手渡されて感激。流石に満席で前の方にはマスコミでお見かけする演劇評論家のお顔もちらほら。上演後の説明によれば、「明治13年に謡初式を復活させた時」の形で上演するので江戸時代のものよりコンパクトになっているとのこと。
始まりました。初めに観世大夫・宝生大夫・金剛大夫が侍烏帽子・素袍の正装で登場、それぞれの流派の地謡が3名ずつ続き、着座したところに奏者が登場。今回は日本芸術文化振興会理事長の茂木七左衛門氏が勤めます。一同平伏のまま、奏者が観世大夫にむかい、「うたいませ」と声を発します。間髪を容れず「四海波」が始まり、終わると囃子方登場。三大夫による居囃子(シテと地謡・囃子で舞なしで演奏するもの)で「老松」「東北」「高砂」となります。この三曲が謡初式の決まりの演目とのこと。演奏がおわると「時服(じふく)拝領」です。白色の綿入れで裏地は紅になっています。この時服を素袍の上に重ね着して三大夫が次の「弓矢立合」を舞います。これは三方ケ原の大敗で浜松城に逃げ帰った徳川家康が敵の武田軍が引き返したのを喜び、観世大夫にひとさし舞わせたという由緒によるものだそうです。「弓矢立合」が終わると奏者より観世大夫に肩衣が与えられ、奏者も自らの肩衣を脱ぎ、投げ渡します。その肩衣を後日大名家にお返しに伺うと金品をいただくのが習慣になっていたそうです。後で観世宗家のご説明によれば、幕末近くになると各大名家も財政難で「どうぞお持ち帰りください」と言われて観世家には大名家の家紋のついた肩衣が3棹も残されているそうです。このあと「武家儀礼と能」と題した音阿弥シンポジウムが国学院の二木謙一教授と東京大学の松岡心平教授、観世宗家で行われました。(音阿弥は観世流の三世です。)その折、観世宗家の着用されていた素袍は2代将軍・秀忠から拝領したものと伺いました。三流の宗家が一緒の舞台はなかなか見られることはありません。充実の一日でした。