中央区には、地域のみなさんに親しまれ、愛称を持った道が98路線あります。どの道にもストーリーがあり、様々な表情で私たちに語りかけてくれます。そしてじつは、愛称を持たない道にも、たくさんの魅力が詰まっているんです。今日は、そんなさりげない道に、スポットライトを当てたいと思います。
♪ 高速下のレトロな道
こちらは、銀座1丁目17番、「木挽町仲通り」の始まる一歩手前の道です。愛称はありません。あえて言うなら、特別都道451号線。首都高の銀座一丁目駐車場があり、その隣には京橋消防署が並びます。昭和通りからひとつ入ったところの、ひっそりとした道でありながら、車も人通りも多く、生活に欠かせない道です。
江戸時代の慶長期、外堀から楓川を目指し開削された約600mの水路、「京橋川」。戦後の復興事業の一環として、昭和29年(1954)から埋め立てが始まり、昭和34年(1959)に姿を消しました。ちょうどこの辺りに、「白魚橋」が架かっていたはずです。今は頭上を高速道路が横切り、日陰を作ります。
この銀座1丁目駐車場は、一面レンガ張りになっています。どことなく懐かしい雰囲気が漂っています。駐在さんがおり、大きな窓越しに、思わず目が合ってしまうところも、なんだか人情味があります。歩道のわきには、小さな植え込みがあって、花が咲いています。コンクリートと車の騒音に囲まれたなかで、小さな花たちは、健気に季節を伝えてくれます。
隣の京橋消防車は、住所が変わり、京橋3丁目14番になります。銀座1丁目駐車場との間の隙間から覗き込むと、通りの向こうはぐっと沈み込んだ地形になっており、かつての楓川を、猛スピードでゆく車たちが見えます。エントランスの植え込みには、かわいい花が咲いていました。そして、キュータくんがポーズをとっているのです。さらに、キュータくん用のミニのカーブミラーもあり、何ともかわいいです。
♪ 自動電話交換発祥之地
銀座1丁目駐車場の反対側は、もう木挽町仲通りです。セイコーウォッチの大きなビルに出会います。角を曲がって新金橋方面を向くと、敷地内の植え込みに「自動電話交換発祥之地」碑をみつけました。記念碑にはこうあります。
― 我が国における自動電話交換方式の発祥は、大正15年1月20日、旧京橋電話局の交換業務開始による。自動電話交換開始50年に当り京橋電話局跡であるこの地に、記念碑を造り昭和50年1月20日除幕した。記念碑は当時の自動電話交換機の回路図の一部を図案化したものであり、「自動電話交換発祥之地」は米澤滋博士の筆によるものである。―
(東京都中央区銀座1丁目26番1号)
この記念碑が除幕された昭和50年(1975)、ここに建っていたのは、ホテル銀座ラフィナート(旧名 京橋会館)という建物だったそうです。その時は、今よりもっと大きな回路図が、エントランスの外壁に掲げられているのを写真で見ました。セイコーウォッチのビルが建ったのは、平成28年(2016)5月です。この記念碑もそれに合わせ、新しく造り替えられたのだと思います。現在は、NTT東日本京橋ビルが、銀座2丁目にありますね。 こうして見ますと、名もない道にも、かけがえのない"あゆみ"があります。だから、中央区の歩道っておもしろい!と思うのです。
中央区観光特派員 湊っ子ちゃん
第11号 平成30年5月20日