勝鬨橋と佃大橋との間に「月島の渡し跡」の碑があります。この碑は、隅田川テラスを少し離れた堤防の内側 「わたし児童公園」にあるので少々分かりにくいかと思います。昭和15年に勝鬨橋が架橋され渡船の利用者が 減少したため月島の渡しが廃止されたことは、確か今年の観光検定試験に出題されたと思います。
この月島の渡しは月島と南飯田町(現築地7丁目)との間当初手漕ぎで私設渡船であったとのことですが、 この南飯田町ゆかりの物があったと思うので見つかりましたらこのブログに掲載します。
このあたりは佃大橋とその先の中央大橋のワイヤーケーブルと東京スカイツリーが重なって見えます。
佃大橋は昭和39年東京オリンピック時に架橋されました。それ以前は「佃の渡し」があり最後運航に乗船した記憶があります。
<<< 手前は佃側 このあたりに「佃の渡し」がありました >>>>
<<<< スッキリした橋の下 >>>>>
<<<<< 耐震工事は再度行われ現在は完了しています >>>>>>
橋の下を見るとここも耐震補強が施されています。
佃大橋はスピード違反の取り締まりを行っていることがあるので車で渡るときは注意してください。
前回掲載した月島川水門工事は6月末の時点でまだ終わっていません。歩行者用橋梁の工事案内はなく通行止になっています。これが出来るととても快適なので楽しみにしていたのですが、工事の進捗はどうなったのでしょうか??
次回は中央大橋です。