大門通り(おおもんどおり)は、日本橋小伝馬町18番から、日本橋人形町2丁目14番までの、約1.2kmの通りです。この愛称は、昭和63年度につきました。
大門通りの歩道には、この町の歴史を物語る絵がたくさんありました。
♪ 歩道美術館へようこそ!
こちらは、日本橋堀留町でみつけた歩道の絵です。
「堀留町」という町名の由来は、その名のとおり、掘割がここで止まっていたことにあります。
こちらは、日本橋富沢町の歩道にある絵です。
行商人のような人が、背中に着物をたくさん背負っています。じつはこの商人、「呉服売り」なのだそうです。
富沢町と橘町は、古着店の多い町でした。
晴れた日には、店の外に筵(むしろ)を敷き、古着を並べて売ったそうです。
さて、富沢町の町名の由来をご存知ですか?
慶長の頃、この辺りに構えていた鳶沢甚内(とびさわじんない)からきているそうです。
鳶沢甚内は、江戸の盗賊の取り締まりを命じられていました。また一方で、古着店の元締めでもあったのです。
古着店に盗品が持ち込まれることもあり、そこで盗賊を取り締まっていたようです。
のちに、鳶沢町がなまって、富沢町になったと言われています。
戦後、多くの町が分割、統合されるなか、富沢町は60数年、ひとつの町会として今日まで続いているとのこと、素晴らしいですね。
さぁ、大伝馬町に入りました。
長い年月のなかで、たくさんの歩行者を迎えたのですね。これは、伝馬役の絵でしょうか。
伝馬役とは、公用の旅人に、人馬の継立てを行う役目です。大伝馬町に構えていた、道中伝馬役といえば、馬込勘解由(まごめかげゆ)ですね。
おや?小伝馬町を過ぎたところで、舗装の様子が変わりました。
どうやら、千代田区に入ったようです。
すると、目に飛び込んできたのは、「大門通り」と書かれた標柱。中央区を越えてなお、同じ通り名が続いていたのです!
▲千代田区の標柱
さいごに、大門通りの舗装ダイジェスト版をご覧ください。
1.三毛猫のような色の組み合わせですね。まだ新しいようです。
2.中央区でおなじみの色合いですね。
3.めずらしいタイプです。緑のブロックで正方形をつくり、両サイドには赤い正方形でアクセントをつけています。
今回も出会えた、絵のある歩道。
地域の特徴や歴史を物語る歩道というのは、愛嬌があってとてもおもしろいですね。
これからも、中央区の素敵な歩道を、たくさん歩きたいと思います。
中央区観光協会特派員 湊っ子ちゃん
第19号 平成30年7月10日