月島地区をテーマに書くブログ最終回です。約100年前の東京のウォータフロント"月島地区"に海水浴場がありました。明治期に海水浴流行のきっかけをつくったのは、陸軍軍医総監の松本順(良順)で、医療とレクリエーションをかねて海水浴を奨励しました。
明治24年(1891年)大森海水浴場が、明治35年(1902年)には穴守海水浴場が、明治42年(1909年)には羽田海水浴場が開設されました。砂風呂などが人気を取り、大いに賑わったといわれます。大正時代に入ると「海水浴場」が都心を越えて月島・深川地区に波及し、大正2年(1913年)に完了した三号地の埋立(勝どき5~6丁目)と共に開設された月島海水浴場には、料理屋や宿泊施設・海の家が整備され大いに繁栄しました。下の地図では(三号地)の左側(西側)に海水浴場が見られます。
海水浴の様子を示す写真を見ると、今からは考えられない「ふんどし」姿の人が数多くみられます。
1930(昭和5年)年代になると、「海水浴場」は衰退し始めます。埋め立て・海水汚染のためです。
第二次世界大戦後、高度経済成長期を迎えたこともあり、東京に海水浴場がよみがえることはありませんでした。月島も然りです。今日の東京の海は海水浴には不適当な状況にありますが、人工海浜や親水護岸などの整 備も進んでおり、さらに水質の改善が進行することによって、将来再びそのにぎわいを取 り戻すことに大きな期待が寄せられている。
参考文献:
1. 平成17年度日本大学理工学部 学術講演会論文集「東京のウォータフロントにおける余暇文化の変遷に関する研究」
2. 中央区沿革図集(月島編)