佃島を歩いていますと、三角形の空間と出会うことがよくあります。
それに沿うように、歩道も三角形をしています。
三角形の空間ができた理由は、"町並みの向き"にあるようなのです。
♪ 佃島と新佃島
地図を眺めていると、佃島の町並みは、江戸側とほぼ揃っているのに対し、新佃島は、月島と同じ向きをしています。
その昔、摂津国西成郡佃村(現在の大阪府西淀川区)の漁師たちは、家康に招かれ江戸入りし、白魚献上の御用を務めました。その後、正保元年(1644)に、佃島を築造しました。
そのとき、佃島は江戸城を向くように造られたそうです。そのため、佃島は江戸の町と向きが揃っているようです。
一方、新佃島は明治29年(1896)に誕生しました。月島地区と同じ時期に埋め立てられ、築地や深川と向きが同じだということです。なるほど、深川との間には相生橋があり、まっすぐな道でつながっていますものね。
そこで、三角形の空間ができたのですね。
佃島を黒線で囲みました。
左、赤枠は新佃島。右、間にできた三角形の空間。
(中央区立京橋図書館「郷土室だより」付録地図をもとに作成/明治44年)
♪ 佃島と佃大橋
◀ 春の佃大橋
昭和39年(1964)開通
佃大橋と新月陸橋の軌道も、三角形を作っているようです。
佃大橋は、隅田川を渡ったところで、大きく軌道を変えています。道路の向き、ないしは町の向きが違うからですね。
三角形の空間は、公園になっています。
歴史のある町というのは、地形や道に表情があって面白いですね。
歩くたびに新しい発見がある、そんな中央区がやっぱり好きです。
中央区観光特派員 湊っ子ちゃん
第18号 平成30年6月22日