小舟町天王祭が9月13日~9月15日行われました。私が小学生のころの記憶ですが、父親の実家の縁台で、大きな神輿!通りやご近所の賑やかさに驚いていました。今年の中央区の人口は59年ぶりに16万人を突破とのニュース。しかし商業ビル化が進んだ、ここ小舟町は人口増加が見込めないようです。祭りの役員の方‥「地域の活気が薄れていくなぁ~、地元担ぎ手少ないょ」と...寂しげな様子。...340年も続く文化遺産です~
小舟町天王祭の由来・・・今年は5年ぶりの祭礼。
神田祭・山王祭と並ぶ「江戸三大祭」の一つ。江戸の守り神とされた神田明神の境内にある3つの神社が、1616年に幕府の手から町の名主にまかされるようになって、天王祭は340年前に小伝馬町から財力があった小舟町が受け継いだそうです。
通常は4年に1度斎行する小舟町天王祭、近くの堀留児童公園には大きな「御旅所」(仮設神社)が作られ、中には製作に3年をかけて昭和7年(1932)完成、最近大修復という豪華大神輿が披露されています(前の神輿は大震災で焼失)。
祭礼は初日7日「遷座祭」が行事が行なわれ。翌8日は「神幸祭」、神主を先頭に御神輿が台車に乗せられ小舟町内を巡り、夕方から企業担ぎ手の神輿渡御が行なわれました。
「小舟町の昔」は日本橋問屋街の玄関口でした。...日本橋三越から人形町方向に進んで、徒歩5分の地です。旧石神井川を埋めて市街地化。堀残された東西2本の入堀に接する小舟町、堀江町(昭和初期に小舟町編入)は江戸時代から昭和初期まで江戸湊として、河岸には米、鰹節、乾物問屋の土蔵が並び、道を隔てた街には多種多様な問屋が店を持った、物流の中心地。堀江町には団扇問屋が集まっていたという。なお、西堀留川は大震災の焼土で昭和4年(1929)に埋められ、東堀留川は戦災残土処理で昭和24年(1949)に埋め立てられたて、堀留児童公園になっています。なお、小舟町は安田財閥の祖・安田善次郎が両替商を開業した地。また石油実業家小倉常吉が事業を起こした地でもあります。
浅草寺「小舟町大提灯」の由来。
1684‐87年、鮮魚・鰹節などの扱いで財を成した小舟町の商人が信心の心意気を表し、浅草寺(現宝蔵門)に小舟町の町名を大書きした大提灯(高さ3.75m、重量400㎏)を奉納して以来350年余、先祖の意志を引き継いで町民の浄財で現在に至る...(小舟町作成しおりより)
小舟町&お隣り町の10月イベント!
●人形町のにんぎょう市:10月4日~6日(土)
●てんてん祭.:10月7日(日)
●恵比寿講べったら市:10月19日~20日(土)