先月、私の勤める会社の会合で使わせていただきました
お料理のおいしさ、行き届いた応対もさることながら、その歴史が明治以降の新富町の歴史そのものですばらしいものですから、日を改めて取材させていただき、このブログで紹介させていただくものです
創業は、明治6年
なんと、今年で創業145年目を迎えるのだそうです
お店の名前は、「躍金楼」と書いて「テッキンロウ」と読みます
これは、中国・北宋の詩人、范仲淹(はんちゅうえん)の「岳陽楼記」の一節、
「長煙一空 皓月千里 浮光躍金 静影沈壁」
から名付けられたそうです
光で照らされ輝く波を、魚の鱗が金色に躍る様子になぞらえて、活きのいい料理を出すお店であれ、との思いが託されたそうです
確かにその思いは受け継がれ、先月会合の折、出していただいた「キンキ(キチジ)の煮付け」は、本当に美味しかったです
「瓢(ひさご)の間」、床の間の「岳陽楼記」の掛け軸とその「躍金」の個所
ちなみに、この「岳陽楼記」は、後段に「先に天下の憂いを憂い、後に天下の楽を楽しむ」(為政者の心得)の、いわゆる「先憂後楽」の語があることでも有名です
岳陽楼は中国、湖南省の洞庭湖の北東岸に建ち、北には長江が臨まれる大景観の地です
(明治11年版行「会席別品競べ」月岡芳年筆 躍金楼中庭にて)
お店の名付け親は、山岡鉄舟だそうです
山岡鉄舟は、「幕末の三舟」のひとりで、江戸城を無血開城に導いた、書家としても有名な幕末から明治にかけての偉人です
(明治28年当時の営業許可証)
お店には、その歴史を物語るような由緒ある品々が飾られており、先月の会合でもそれらの説明を大女将からお聞きすることができました
明治後期に著された、当時のグルメガイドにあたる浮世絵「開花三十六会席」に選ばれるほど評判の高いお店だったそうです
その浮世絵は、お店の廊下にも飾られており、お店のコースターにも使われていて、記念にいただくことができました(下の写真)。
戦時中は、営業を続けること自体が無理な時代で、荻窪に移られていたこともあったそうですが、戦後、現在の黒塀で囲まれた趣きのある日本家屋の場所に戻られたのが、昭和24年だそうです。
その後、増改築を繰り返されて、今に至られたとのこと。
こちらの建物は、中央区近代建築物調査100選にも選ばれ、「新富の花柳界の名残を伝える、黒塀の料亭建築」と紹介されています
お座敷は、「広間」、「兎の間」、「松の間」、「瓢の間」と、客数によって使い分けられています。それぞれの部屋に、歴史を感じさせる調度品が置かれています
明治31年に出た会席御料理番付にも載った「躍金楼」(躍の字が違っていますが)
1階には、割烹とは別にカウンター形式の「すたんど割烹」があります
冒頭述べた「新富町の歴史そのもの」の割烹料亭です
お店の前を通るだけでも、歴史が感じられますよ
是非、一度、お立ち寄りください
今回の取材に関しましては、大女将の澗岡(たにおか)登紀子様から懇切丁寧なご説明をいただきました。写真撮影のご了解もいただきました
ありがとうございます
躍金楼のHPはこちら ⇒
中央区近代建築物調査100選で、こちらの建物が紹介されています ⇒