築地市場の豊洲移転は、10月11日実施に向けて、詰めを急いでいると聞きます。
豊洲移転後には、五輪選手村とメイン競技会場を結ぶ道路が整備されます。
日本国中を熱くさせたアジア大会や、テニスのグランドスラムにおいて、日本選手の活躍が伝えられ、さらにボランティアの募集が始まると、2020年に向けてググッと気分が高揚してきます。
東京五輪に向けたスケジュールが進む中で、少し気になるものがあります。
「浜離宮前踏切」の跡地にある、「銀座に残された唯一の鉄道踏切信号機」です。
汐留駅から分岐して、東京市場駅に貨物を引き込むための東海道本線の貨物支線。
全長1.1km。そこに設けられた踏切の名残りなのです。
環状2号線からは離れているものの、一連の開発や作業の過程で撤去されてはいないだろうかと思い、
銀座八丁目21番1号先に行ってみました。
銀座郵便局の入り口。
平成30年9月19日現在、ちゃんとその存在を確認できました。
港区に位置する新橋駅は、「汽笛一声新橋をはやわが汽車は離れたり」と鉄道唱歌東海道編第1番に掲げられているように、鉄道発祥の地であり (実質的には汐留駅の位置になります) その周辺には、鉄道関連の様々な施設が残され又は復元されています。
かつて、2010年4月のブログに「中央区の駅は、みんな地下」と書きましたが、中央区内の地表面に残る鉄道施設は、意外と少なく貴重なのです。
築地市場には、貨物列車で、トラックを使った陸路で、隅田川河畔から舟運で、様々な品物が集約され、発送されていった名残を見ることができます。
築地市場の隅田川に面した建屋が、ぎゅっと扇形に湾曲しているのは、鉄道貨物の引込み線が場内奥まで入り込んでいたことを物語っています。
最盛期には、1日150両の貨車が通過しました。
何編成もの貨物列車が荷物を積み込み、全国へと発送されていったのです。
幼いころ地方都市で暮らしていた私は、さまざまな形式の貨車をつなぐ貨物列車に心惹かれ、連結された貨車の数をひたすら数えていたものです。
私が見た貨物列車も、築地から浜離宮前踏切を渡り、汐留の東京貨物ターミナルで組成され、運ばれていったのでしょう。
この踏切は説明文から、昭和62年1月31日まで使用されていたことが分かります。
この信号機、実は歩道にぽつんと佇んでいて、ちょっと寂しいのです。
もし私に貸してくれたなら、そうそう、シグナルが点灯するように息を吹き込み、ボタン操作でカンカンカンと信号音が出せるように整備したいと思うのですが、どうでしょう。
歩いている人が驚くので、却下?
いや、記念物を残す際の、ひとつの提案でしたので、どうぞ聞き流してくださいませ。