こんにちは、湊っ子ちゃんです。
今日は、日本橋本石町四丁目6番から日本橋室町一丁目1番までの、「日銀通り」を歩きたいと思います。日銀通りはその名のとおり、日本銀行本店本館に続く道です。
明治15年(1882)に公布された日本銀行条例により、日本銀行本店本館は、わが国の中央銀行としての業務を開始しました。
当初は、旧永代橋のたもとにあった、北海道開拓使物産売捌所の建物を使用してのはじまりでした。
ここは、北海道の特産品を陳列して販売する建物で、竣工は明治14年(1881)、設計は鹿鳴館でおなじみ、工部省のお雇い英国人ジョサイア・コンドルです。
「ベネチアン・ゴシック様式」の重厚で美しい外観を持った建物で、人々の注目を集めていたといいます。
日本銀行が現在の場所に移ったのは、明治29年(1896)のこと。コンドルに師事した辰野金吾の設計です。
「将来を展望し、堅固・宏壮なものを作る」それが、当時の日銀総裁 川田小一郎(かわだこいちろう)が掲げたスローガンでした。
石積みレンガ造りによる「ネオ・バロック様式」の建物は、ベルギーの中央銀行をモデルにしたといわれており、明治時代における洋風建築の2大傑作とされます。昭和49年(1974)、国の重要文化財に指定されました。
また現在、日本銀行本店本館の建つこの場所は、江戸時代の「金座(きんざ)」跡地です。金座とは、小判の鋳造を行うところで、勘定奉行が取り仕切っていました。
それ以前は、「手前吹(てまえぶき)」といって、鋳造所というものはなく、御金改役(ごきんあらためやく)後藤庄三郎光次の指示により、小判師が原判金を各自作り、合格したものに後藤家の極印(ごくいん)を打つという仕組みでした。
このような経緯をもつ金座も、明治2年(1869)、造幣局の設立によって、その歴史に幕を閉じたのです。
日本銀行は、明治20年代から、全国に支店が設置されはじめ、その多くは本店同様、既存の建物を利用しての営業開始でした。本店の新しい店舗が完成し、各店の業務が拡大するなかで、辰野金吾により順次新しい店舗が造られていったのです。
♪ 歩道美術館へようこそ!
日銀通りの歩道でみつけた、素敵な模様をご紹介します。
今回みつけた歩道の絵は、町への誇りと愛着が感じられる、石造りの渋いものでした。これからも、地域の顔が見える、素敵な歩道との出会いを大切に、中央区を歩きたいと思います。
中央区観光協会特派員 湊っ子ちゃん
第24号 平成30年10月7日