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【遠足シリーズ第7弾】煉瓦が語る物語

[Hanes] 2018年11月19日 12:00


こんにちは。新人特派員のHanes(ハネス)です
先月、先輩特派員いのちゃんさんが「ちょっとニューヨク・タイムズ―銭湯と愉しむまち歩き―」にて、10月10日銭湯の日であると紹介しておりました

そんな10月10日...明治15年(1882年)には、日本の歴史に残る出来事がありました。
それが、日本銀行の業務開始です!
日本橋箱崎町には、「日本銀行創業の地」を示す碑があり、そこには以下のように刻まれています。

明治十五年十月十日日本銀行はこの地で開業した
明治二十九年四月日本橋本石町の現在地に移転した
創業百周年を記念してこの碑を建てる
昭和五十七年十月
日本銀行総裁 前川春雄

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当時の日本銀行ですが、立派な煉瓦造りの建物だったと記録されています。
そのことは知っていても、いつの間にか「その煉瓦ってどこから来たんだろう...?」と疑問に思うようになり、
しばらく前にそれを解決してくれるであろう場所へ行ってきました。
それが、この駅がある場所です!

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一見東京駅の丸の内側のようですが、実はこちら埼玉県深谷市にある深谷駅なんです。
深谷市というと、深谷ねぎやかわいいゆるキャラのイメージが強いかもしれませんが、
かつては煉瓦の製造地としても名をはせていました。
創業当時の日本銀行もまた、深谷市の日本煉瓦製造株式会社で製造された煉瓦でできていたといいます

遡ること1886年、明治政府が欧米列強に対抗することを目的に、
日比谷周辺を近代的建築による官公庁街とする「官公集中計画」を立ち上げてから、
西洋風の煉瓦造りの建物にするため、大量の煉瓦が必要となりました。
その際に、以下の2つの理由から、渋沢栄一が実家近くの上敷免村を工場建設地に推薦しました。
①煉瓦作りに最適な良質の粘土が採れること。
(従来、瓦生産が盛んな場所でした。)
②舟運が見込めたから。
(小山川→利根川→江戸川→隅田川というルートを経て東京に運べます。)

ということで、一般公開している日本銀行の煉瓦製造地である旧煉瓦製造施設を訪問しました
奥に見える旧事務所(煉瓦史料館)にて、当時たくさんあった窯のジオラマや煉瓦、
中央停車場(現・東京駅)向けの煉瓦の請求書(明治40年8月21日付/こちらから構造用煉瓦8,332,000個を納入)等
興味深い資料を一通り見せていただいてから向かったのが、

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国重要文化財に指定されているホフマン輪窯6号窯
このホフマン輪窯は、全国でこちらを含めて4基しか残っていないという非常に貴重な文化財なのです

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ガイドさんに案内していただき、ヘルメットをかぶっていざ窯の中へ

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この写真を見て分かる通り、壁は非常に厚みのあるものになっています。
その理由は、煉瓦を焼く際に熱が逃げないようにするためだそうです
厚みは3mもあるというのだから驚きです!

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内部はこのようになっており、18の区切りがありました。
1つの区切りには36個の穴があり、その穴を通して2階から石炭を投げ込んでいたそうです

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煉瓦の焼き上がりには2週間を要し、焼き加減は2階から針金を入れて確認したそうです
ここで日本銀行に加え、東京駅丸ノ内本屋、旧東宮御所(現・迎賓館赤坂離宮)に使用された煉瓦が製造されたと考えると、
近代化する日本を物理的に支えた陰の立役者を見ているようで、なんだか感慨深くなりますね

たかが煉瓦、されど煉瓦。
建材の一つである煉瓦も、このように面白い物語を語ってくれます
煉瓦を通じて見えてきた中央区と深谷市の関係性については、
遠足シリーズ第8弾でも取り上げます。

■旧事務所(煉瓦史料館)・ホフマン輪窯6号窯
住所:埼玉県深谷市上敷免28-10
開館時間:9:00~16:00(最終入館15:30)
開館日:土、日(年末年始をのぞく)
入場料:無料
ウェブサイト:深谷市ホームページ「旧煉瓦製造施設」渋沢栄一デジタルミュージアム「旧煉瓦製造施設」

※文化財内外のお写真につきましては、深谷市文化振興課のご担当者様より掲載許可をいただいております。