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中央区の歩道っておもしろい!20【聖ルカ通り】

[湊っ子ちゃん] 2018年11月26日 14:00

lukes01m.jpgこんにちは、湊っ子ちゃんです。
今日は、築地三丁目8番から、明石町9番までの「聖ルカ通り」を歩きたいと思います。

聖ルカ通りに木漏れ日を降らすのは、アメリカより友好の印として贈られたハナミズキです。

明治元年(1868)から同32年(1899)まで、現在の明石町一帯には、築地外国人居留地が置かれ、宣教師や医師などが多く居住し、日本における布教活動の拠点となりました。明治8年(1875)にはアメリカ公使館が設けられるなど、アメリカとの関わりが深い地域です。

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lukes03m.jpg♪ 明石町のシンボル聖路加

明治33年(1900)、宣教医師R・Bトイスラーが来日、同34年に築地病院を聖路加病院と改称し発足します。同37年には聖路加看護学校を開設し、ここにトイスラーの目指した、信仰・医療・看護教育という、3つの基本構造が整い、聖路加病院はその後大きく発展を遂げました。そして大正6年(1917)、聖路加国際病院と名を改めたのです。
聖路加国際病院の建築は、当初A.レイモンドが設計にあたりました。その後、J・バーガミニィにゆだねられ、昭和11年(1936)、ネオ・ゴシック様式の聖ルカ礼拝堂が建造されます。今も礼拝堂からは、毎日定刻に鐘の音が響き渡り、現在の明石町とその周辺地域に、かつての外国人居留地時代を思い起こさせてくれます。
 

♪ 聖ルカ通りに建つ記念碑

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蘭学事始地碑
豊前国(現在の大分県)中津藩奥平家の藩医で、蘭学者でもあった前野良沢は、杉田玄白・中川淳庵・桂川甫周らとともに、オランダ語の医書「ターヘル・アナトミア」を翻訳し、安永3年(1774)、「解体新書」を出版しました。

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慶応義塾発祥の地碑
中津藩出身である福沢諭吉(1835-1901)は、安政5年(1858)この地に蘭学塾をひらき、現在の慶応義塾大学へと発展します。

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女子学院発祥の地碑
明治3年(1870)、宣教師ジュリア・カロゾルスにより女子学院の前身であるA6番女学校が創設されます。築地外国人居留地に初めて建った洋館で、人々の注目を集めました。(実際の旧所在地とは異なります)

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立教学院発祥の地碑
明治7年(1874)、C・Mウィリアムズ主教により立教学院のルーツである私塾、立教学校が開設されました。

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トイスラー記念館
聖路加国際病院の宣教師館として、昭和8年(1933)に建設されました。外観には、柱や梁などの骨組みを表現した、西洋風の建築意匠が見られます。現在は、病院内中庭に移築復元されています。

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浅野内匠頭邸跡碑
忠臣蔵で名高い、赤穂藩主 浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)の屋敷跡です。元禄14年(1701)江戸城中で起こった刀傷事件により、無念の切腹を命ぜられ、お家断絶となりました。

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芥川龍之介生誕の地案内板
芥川龍之介(1892―1927)は、明治25年、耕牧舎という牛乳牧場の長男として、ここに生まれました。夏目漱石の門下に入り、「河童」「羅生門」「或阿呆の一生」など、多くの作品を残しました。

 

♪ 歩道美術館へようこそ!

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かつての築地外国人居留地を物語る、ガス灯の絵や居留地の番地を配すところなど、お洒落ですね。(写真は、平成30年4月撮影)
 

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旧暁橋の歩道には、舗装ブロックで形作られた「区の花つつじ」の文字と、つつじの絵がありまます。
lukes13m.jpg橋の上のカラフルなオブジェは、風をイメージしているとか。今年度から、「花咲くまち角」の花壇も新しく設けられ、人々の賑やかな往来と相まって、活気あふれる通りです。
 

 

中央区観光協会特派員 湊っ子ちゃん

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第27号 平成30年11月23日