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ビルから読み解く50年前の構想 -- 旧・電通本社ビル

[しばしばしばた] 2018年12月 1日 12:00

中央区役所(築地1-1)から、首都高速道路沿いに汐留方面に歩いていくと... 「祝橋」のたもとに、何やら妙に存在感のあるビルが見えてきます。

sbt_1811_1.JPG

このビルは、呼び方はいろいろありますが「旧・電通本社ビル」(築地1-11)で、
その名の通り、広告代理店の「電通」さんが、2002年に汐留に移転するまで、本社を置いていた建物です。
竣工は1967年、日本を代表する建築家・丹下健三さん率いる「丹下健三・都市・建築設計研究所」の設計です。

 
このビル、実はとても壮大な構想の一部をなすビルでした。
丹下健三さんは、「築地再開発計画」というマスタープランを、このビルが竣工する3年前の1964年につくっています。

 
<参考>築地再開発計画のイメージ

https://www.tangeweb.com/works/works_no-32/
(丹下都市建築設計さんのホームページに飛びます)

 
築地再開発計画は、大規模な建物が繋がってひとつのシステムのような都市をつくる壮大な構想になっており、
それぞれの建物は、需要に応じて建物が高さ方向にも横方向にも自由にどんどん延びていくような構造になっています。
(ちなみに丹下先生は、さらに大きいスケールで都市が海上に延びていくような「東京計画1960」という構想を提案したことでも有名です。)

 
旧・電通本社ビルは当初、この壮大なシステムの一部分になることを想定して計画されていました。
建設費の関係などで設計が変更され、実際に建設されたものと当初の計画は少し違うものになっていますが、
建物の側面を見てみると、築地再開発計画で見られたような「どんどん延びていく」性質が表現されているのがわかります。
(下の写真をご覧ください!)

 
sbt_1811_2a.jpg

 


sbt_1811_2b.jpg

 
① 建物の「表面」ではなく途中の「断面」であるということを示すような、窓が少なく無機質な壁

梁(はり)がちょこっと飛び出ていて、いかにも延びていきそう
③ 窓枠が、一つの単位の半分のところで寸断されている!

 
こんな風に見ていると、建物が本当に増殖していきそうに見えてきて、面白いですね。

 
sbt_1811_3.JPG

 
そんな旧・電通本社ビルですが、コンクリートや金属のような素材をふんだんに使った点や、機能性を追求した工業製品のような仕上がりが特徴でもあります。 それから、一階部分の壁や柱の無い空間は、フランスの巨匠・ル=コルビュジェの「建築を地面から解放する」という思想の影響が見てとれます。これらは「モダニズム建築」に見られる特徴です。

 
また、このビルは「特定街区」という制度が初めて適用された事例の1つでもあります。
...それまで、日本の大都市ではわずかな例外を除いて建築物の高さが31メートル(およそ百尺)までに制限されていましたが、建築技術の進展や高度経済成長を背景として高さ制限の撤廃が希求される中、街区内に限って独自に高さなどを設定できる「特定街区」という制度が1961年に創設され、日本初の超高層ビル「霞が関ビルディング」の誕生にも結び付きました。そして、旧・電通本社ビルは霞が関ビルディングと同じ日に特定街区に指定された、第1号案件のうちの1つなのです。
高さ約60m、今となっては東京では珍しい高さではない存在ですが、竣工当時は日本の急速な経済成長や東京の市街地の高層化を象徴する存在だったのでしょう。

 

そんな、当時の建築思潮や社会情勢を今に伝えてくれる「旧・電通本社ビル」ですが、現在は空きビルになっており、近々、建て替えが計画されているという噂も耳にします。

50年前の空気感に思いを馳せに行くなら、今のうちです