「ねーねー、江戸っ子っていうとどんな気質のことを言うの」
『それ、あれでしょ、宵越しの銭は持たないとか、生粋の江戸のはえぬき、とかでしょ?』
「そう、山東京伝さんが、他にもいきとはりを本領とするとか、いくつか定義づけているわよね。あとさー、"芝で生まれて神田で育つ"なんていうのも言うわよね」
『あ、言いますね。神田は江戸を象徴する町人地なので、神田っ子は江戸っ子の代名詞みたいに言いますよね』
「じゃあさー、江戸の中心というと日本橋が挙げられるのに、どうして神田が江戸を代表するような言い方をするの」
『えっ・・・。え、えーと江戸って元々は隅田川などが流れ込んできた"江の戸"にできた湊なので本来は江戸橋や日本橋周辺のことを言ったんですよね』
「あら、よく知っているわね。そのとおりね。"江戸方角安見図"では"ここより北は神田、南は江戸"と書いてあって、厳密には江戸と神田は別と考えられていたのよね。じゃ、なんで神田っ子が江戸っ子の代名詞になるの」
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『・・・え?』
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「・・・ぼーーーっと生きてんじゃ」(以下略)
「・・・ぼーーーっと生きてんじゃ」(以下略)
「答えは、"雇ってもらえなかったからー!!!"」
『え???』
・・・やれ粋や通だの、高速道路が日本橋の景観を台無しにしたなんて言っているそこのあなた・・・・
********(様々な説があると思うのでそのうちの一つとして)**********
日本橋は江戸城正面の常盤橋門前に位置し、上方をはじめ全国からの物資が集散する地域でした。
また金座をはじめ金融センターとしての機能を備え、本町との名のように城下町の中心として作られた地域です。
また金座をはじめ金融センターとしての機能を備え、本町との名のように城下町の中心として作られた地域です。
ここには伊勢や近江、京都などを本店とする上方商人が大店を構えていました。この江戸支店、つまり江戸店(だな)は徹底して稼ぐ場所であり、店員は上方の本店から連れてきたので、江戸で現地採用をすることはありませんでした。
「宵越しの銭を使わぬ」ような人には声が掛からなかった。彼らが仕事を得るには日本橋から少し離れた神田で年季奉公をし、一人前の職人や商人になるより他なかった、っていうわけです。
(これを大店に"雇ってもらえなかった"と表現しています)
(これを大店に"雇ってもらえなかった"と表現しています)
神田橋門外の町人たちは、武士や大店の店員に囲まれて彼らと共生できる独特の気風=神田っ子を作らざるを得なかった、ということのようです。
(参考文献:東京人「江戸から続く町人地」(2016年10月号)
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(写真は、日本橋かるたより江戸っ子に関係のありそうなものをチョイス。)
(また、新年大賑わいの神田明神(江戸っ子が山王権現と神田明神氏子地域に生まれた人を言うことから))
なお CAMさんの「江戸っ子とは」にも詳しい記述があります。
/archive/2017/09/post-4591.html