徳川家康が大阪の佃から江戸に招いた漁民たちが築いた佃島。その後、明暦の大火(1657)後の築地本願寺の造営にも佃島の皆さんが貢献するほか、中央区の歴史を知る上で佃島は重要な位置を占めていますね。私も特派員の一人として、佃島のルーツを目に焼き付けておくべきと思い、大阪出張の際に足を伸ばして西淀川区の佃を訪ねてきました。
梅田から阪神電車の各駅停車に乗り、千船駅下車。静かな街の一角に、田蓑神社があります。大きくはない境内ですが、足を踏み入れると、地域に愛されている重要なお宮であることがよくわかります。
徳川家康の東照宮が境内にあると聞いていましたが、他にも「金比羅宮」(金比羅さん)、「七重之社」(お伊勢さん)、「稲生社」(お稲荷さん)などが祀られています。
中央区と密接な関係がある「佃漁民ゆかりの地」碑。家康との関係、住吉神社の由来などが記された説明板もあります。大阪市立佃小学校と中央区立佃島小学校との交流についても説明があります。
ちなみにこの地はゼロメートル地帯にあり、鳥居の横には「海抜-0.8m」との表示がありました。コンクリートの堤防で守られた低平地に位置しています。歴史に思いをはせつつ、水防災の重要性を改めて感じた旅となりました。