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◆ 佃島・住吉神社 の大幟柱掘り起こし

[隅田の花火] 2015年7月27日 09:00

今年、三年に一度の本祭が行われる住吉神社のある佃島。

 

佃小橋の上から佃掘を眺めると、下記注意書きが目に入ります。

『此の場所には、江戸時代後期寛政拾年(1798年)徳川幕府より建立を許された大幟の柱・抱が埋設されておりますので立ち入ったり掘り起こしたりしないでください。佃住吉講』

 

三年に一度の本祭で立てられる、広重が描いたような大幟の「柱」とそれを支える「抱木(だき)」が、水中にタイムカプセルのように埋められているという。

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ここ佃島に来てこの注意書きを見る度に

「水中に埋めてしまって木は腐らないのか?」

とか

「今までは大丈夫だったけど今年は腐ってしまって無くなっていた、ということはないのか?」

とか思ってしまいます。

 

ということで三年に一回しかないこの柱と抱木の掘出しの作業。ちょっと興味があったので見てきました(7月5日(日))。

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当日はあいにくの雨模様となりました。

この掘り起こし、まずは埋められている木が見えてくるまで泥を掘る作業からとなりますが、泥に足を取られたりと見ているだけでもかなりハードな作業とわかります。

 
すると次第に埋められた木が現れ始め、それを取り出す作業に移っていきます。

木の取り出しはクレーンを使います。いったん堀の水で泥を落としたあと、橋上に吊り上げます。

それが何度も繰り返されます。

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一方、柱を立てる穴堀の作業が別で行われます。大幟は六本あり、六ヶ所で立てられますが、一か所につき三つの穴があけられる場所があらかじめ用意されています。

その穴をひたすら掘り進めます。

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抱木のパーツとなる木が取り出された後、6本の柱の取り出し作業となりました。長さは20m近くあるといいます。

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若い衆がその柱を運んでいきます。

この伝統的作業、引き継いでいくためには三年に一回という間隔はちょうどよいのかもしれません。

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そして最後に、大幟を立てるための抱木が組み立てられました。

s_hanabi22-7.jpgとうことで今回も無事、埋められた木が掘出され、大幟を立てる準備が整いました。

 

 

いろいろ調べてみると、木が腐るためには酸素が必要で、水の中に木を埋めるのは酸素に触れさせないという理屈らしい。

昔の人はこんな理屈は知らなかったと思いますが、経験からごく当たり前の知識だったのかもしれません。

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月島の西仲通り(もんじゃ通り)を勝どきの方にずっと歩いていくと「西仲橋」という橋があるのですが、この橋は昨年架け替えられました。

先代の橋の下には何十本もの松杭が埋め込まれ、地盤を強固にし橋を支えていたそうです。

架け替えの際にその松杭が腐ることなく掘出され、今はこの橋の脇に展示されていたり、木のベンチとして再利用されています。

s_hanabi22-9.jpgおとなり千代田区丸の内の、先代の「丸ビル」の下には何千本、「東京駅」の駅舎の下にも1万本以上の松杭が基礎固めとして使用されていたという話はご存知の方もいらっしゃるかもしれません。あの厳島神社の鳥居の下にも木杭が打たれているのだとか。

 

この松杭の話といい、住吉神社の大幟の柱の話といい、「木の力」そして「先人の知恵」には頭が下がります。

 

最近、東日本大震災で液状化が問題になりましたが、「木の力」を見直し、使用使途の無い「間伐材」を使用して杭として地中に埋め込み、液状化対策として使われはじめているのだそうです。

 

 

さて、住吉神社の本祭ですが、このあと26日にいよいよ大幟が立てられお祭りムードが高まってくると思います。

私自身、まだ大幟を見たことがないので非常に楽しみにしてます。

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◆ 2015 つきじ獅子祭 を終えて

[隅田の花火] 2015年7月 3日 18:00

 

6月中旬に行われた波除神社の「つきじ獅子祭」、神輿が町内をめぐる渡御祭を観に行ってきました。

ちょっと日が経ちましたが今回はそのお祭りについてのレポートです。かなりの盛り上がりとなりました。

  

6月13日のお昼過ぎに波除稲荷神社を出た波除の千貫宮神輿とお歯黒獅子は、まず築地場内に入場しました。今年は、「最初で最後」と言われる水神社とのコラボということで、水神社遥拝所の前で待つ水神社大神輿をお迎えするという形です。

s_hanabi21-1.JPG(築地市場内・水神社の前で始まりを待つ水神社神輿)

 

大盛り上がりの中、波除神社・魚河岸会の方からのご挨拶が終わり、いよいよ「最初で最後」のコラボの始まりです。

s_hanabi21-2.JPG(手前が水神社神輿)

 

場内はすごい人・人・人・波・波・波。

2つの神輿は人々の波に浮かんだ船のようにユラユラと。

 

ここ「築地」に対する人々の想いが爆発した瞬間だったような気がします。

 

 

その後、場外に出て各築地町内を巡った両神輿、夜になるまで熱気が冷めることなく担がれました。

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晴海通りに出て勝鬨橋とご対面。

築地市場の開場から5年後の1940年にできた勝鬨橋。翌日の6月14日に開通75周年を迎えました。

s_hanabi21-4.JPG勝鬨橋の開通の日は、ドイツ軍がフランスのパリを占領したその日なのだとか・・・。もうすでに戦争の渦に巻き込まれている、そんな時代だったのでしょう。

その後戦災を乗り越え、築地市場と勝鬨橋は日本の高度成長を支えて来ました。今でもトラックに載せられた沢山のお魚が、この勝鬨橋を渡り築地市場に運ばれて来ます。

 

神輿の列はその後、築地場外市場の区域に入り、波除神社の神輿はいよいよ宮入りを迎えます。立派な神輿です。

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そのあとを水神社神輿が続きます。もう9時になろうかという時間です。

s_hanabi21-6.JPG朝の早い築地。築地市場はこの日の朝も普通に開場していましたので、築地の方々にとっては長い1日であったのではないでしょうか。

 

そして無事、波除神社の神輿は水神社の神輿に見送られながら宮入りを終え、コラボも終了となりました。

s_hanabi21-7.JPG観ているだけでしたが感動的な素晴らしい渡御であったと思います。

 

 

その後水神社の神輿はしばらく波除神社の鳥居の前でたたずんだ後、余韻に浸りながら市場内に運ばれていきました。

そして水神社の前に到着。

s_hanabi21-8.JPG最後に魚河岸会の方からねぎらいの言葉がかけられ、水神社神輿の渡御は終了に。

 

祭りのあとの何とも言えない寂しさが漂う、そんな瞬間でした。

s_hanabi21-9.JPGこの鳥居の前にこの神輿が来ることはもう無いのでしょうか。

 

 

翌日。お歯黒獅子の宮入りです。「つきじ獅子祭」という名のお祭り。波除神社の前は沢山の獅子ファンで埋め尽くされました。

s_hanabi21-10.JPGまたこの日は子供が担ぐ子供神輿なども町内を巡り、見物客を和ませてくれました。

 

お歯黒獅子は女性が担ぐ神輿。女性は背が低いせいなのか、周りの群衆に埋もれてしまい、担いでいる人がほとんど見えません。

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そんな大盛況のなか無事、宮入りが終わったのでした。

 

 

さて、今年のお祭りは終わり、今はいつもの築地に戻りました。

市場が豊洲に移転するという来年はまたあわただしくなるのかもしれませんが、場外市場は築地に残ります。

その場外には市場移転前にオープンするという「築地新市場」が今まさに建設の真っ最中です。

 

この「築地新市場」ですが、仮の名前ということらしく、今なんとその名前を募集しています

 

http://www.city.chuo.lg.jp/kusei/keikaku/tukiji/tsukiji_name.html

 

募集は7月21日までということですが、これから新しく始まる築地をイメージしそうな大事な名前。

築地を愛する方、名付けセンスのある方、いい名前を是非付けていただけませんでしょうか。

 

 

 
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