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2017年8月29日 18:00
「区のおしらせ」8月21日号で、「第十回中央区観光検定」の告知を見ました。小生は、第7回を初めて受験し、第8回も受験、現在観光特派員を務めています。しかし、第10回は多分受けないでしょう。「老と死」がいよいよ重く背後に忍び寄ってきていることを感じる昨今、かねてから計画中の関西帰還をいよいよ実行するべき時期かと思うからです。東京都中央区の住みやすさ、便利さには愛着が深く、離れるには少し躊躇もありますが・・・・
ところで、大阪と奈良を愛する私は、大阪検定と奈良検定の2級を保有しています。それより上位級の受験は、経費がかかりすぎること等の理由により断念していますが、久しぶりに「大阪検定」のサイトを見ました。今年が第9回と言いますから、中央区観光検定の1年後に発足したようです。すると、要項が改訂され、次のような制度が出来ていました。
「○1級を複数回合格した方に、以下の称号を授与し表彰します。
上級5回合格 ⇒ 「大阪の超人」
上級3回合格 ⇒ 「大阪の達人」
到達順にナンバリング(1号~)を振ります。複数名が同時に到達した場合 到達者の1級合格答案で得た得点の累計が高い方を優先します。 累計得点も同点の場合は年長者を優先します。
○複数回受験して一定の基準を満たした方に、以下の照合を授与し表彰します。
受験級に関わらず累計1千点獲得者 ⇒「大阪の鉄人」
累計1千点に到達した順にナンバリング(1号~)を振ります。
同時に到達した場合は、過去の答案(合格、不合格は問わない)で得た得点の累計が高い方を優先します。 総得点も同点の場合は年長者を優先します。」
おもしろい試みではないかと思い、複数回受験を促すために、中央区観光検定でもこのような制度をご検討になっては如何かと、紹介した次第です。
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2017年8月15日 09:00
どなたかが「通り3丁目」バス停名について書いておられるのを読んで少し書きたくなりました。 私は「佃」の住民なので、東京駅へ行く際は、中央大橋を通って、住友ツィンビル前→新川→亀島橋→八丁堀2→通り3丁目という路線バスを使います。日本橋へ行く際は、「通り3丁目」で降りて中央通りを少し歩くことにしています。 したがって、この「通り3丁目」というバス停名は、かなり馴染み深いものです。
「通(とおり)」という旧町名は、現在の日本橋日本橋1~3丁目について、江戸時代から1972年まで使われたもの。大通り沿いに面した町であったことから「通」と名付けられたもので、街道沿いの表通りには大店が軒を連ね、江戸を代表する繁華街として栄えたものです。(『ものしり百科』173頁)
この停留所近くの八重洲通り中央分離帯には、「ヤン・ヨーステン記念碑」があります。日蘭就航380年を記念して1989年に設置されたものです。(『ものしり百科』21頁)
かつての江戸随一の繁華街であった中央通りを進むと、右に高島屋日本橋店、左に丸善書店があります。高島屋日本橋店は1933年に完成され、2009年には百貨店建築として初めて重要文化財に指定されています。(『ものしり百科』21頁、129頁)
日本橋の左手前際には、最近「日本橋観光案内所」が設置されました。
三越日本橋本店前には、「奈良まほろば館」があります。私はよく訪れます。
私は、日本橋近辺を訪れた際は、帰途は、永代通りを永代橋まで歩きます。
永代通り、コレド日本橋アネックス広場には「名水白木屋の井戸」の碑があります。(『ものしり百科』21頁、134頁)
その右隣りには「漱石名作の舞台」についての碑もあります。
さらに、永代通りを歩くと「其角住居跡」の碑もあります。(『ものしり百科』23頁)
さらに進むと、霊岸橋を通ります。川の機能を果たしている橋です。橋上から眺めると、先に「新亀島橋」「亀島橋」が見えます。
通例では、永代橋際から隅田川のリバーテラスを川風に吹かれながら帰るのが好きなのですが、今日(7月13日)は、ここで八重洲通り、亀島橋際へもどることにしました。
このあたりは現在の地名では「新川」と呼ばれていますが、昭和46年までは「越前堀」と呼ばれていました。(『ものしり百科』174頁)商店名などにその旧地名が残っています。
今日(7月13日)は富岡八幡の例大祭。写真は住友ツインビル前の広場の様子です。
ここまで来ると、もう中央大橋は目の前。右に聖路加タワー、左に東京スカイツリー、永代橋等を見ながらこれを渡ると佃に入ります。