[織衣舞]
2012年5月29日 08:30
「ばち英」というお店が甘酒横丁にあります。 お三味線の専門店です。 流派は問いません。
今の社長さん(小林さん)のおじいさんが創設者です。 大正3年に浜町に店を構えられて、2年後の大正5年に現在の場所に移転されたそうです。 昭和58年に建て替えられて現在の店舗になっているそうです。 甘酒横丁のお店もずいぶん変わったそうです。 当時からのお店としては 岩井つづらやさん たいやきやさん お茶やの森乃園さん 焼き鳥やの久助さん 酒屋のしんかわさん 等々があるそうです。
ばち英さんは三味線に関することであれば、何でもOKです。 皮張りから譜面までなんでも取り扱っておられます。 長唄に関すること6割、清元1割、常磐津1割、あと 民謡で 義太夫は少ないということでした。
邦楽に携わる人が減少する中、 日本人としてのDNAをつなげていくためにも、 こういうお店>は皆でもりたてていかねばなりませんよね。
[滅紫]
2012年5月25日 08:30
5月も半ばを過ぎると汗ばむ日が多くなってきました。「今日はもう単衣でもいいかな?」と着るものに迷う時期でもあります。そろそろ「衣替え」の季節です。袷を片付けようとして染みを見つけました。いつもは呉服屋さんに依頼するのですが、今回は散歩の途中で見つけた「悉皆屋」さんにお邪魔することにしました。ではちょっと薀蓄を。
現在では一般的に6月1日と10月1日を「衣替え」の日としていますが、元々は平安時代の「更衣」といわれる宮中行事から始まった習慣。当時は4月と10月の朔日を衣替えの日として冬装束から夏装束(10月は逆)としていました。この行事は宮中に限られていましたが江戸時代に入り木綿の普及によって着衣が多様化したことから幕府は武士に対する年4回の衣替えの日を定め、この習慣が後に庶民の間にも浸透し春と秋は袷、夏は帷子、冬は綿入れを着るようになった(「日本の暦と年中行事」より)とのことです。
「悉皆」(しっかい)というと字面から「悉皆成仏」など抹香臭い印象を受けますが「悉皆屋」はその名の通り、きものに関する「悉皆」(ことごとくみな)(染み抜き、洗い張り、染め替え)などを扱うお店です。江戸後期の風俗誌「守貞謾稿」には「京阪にありて江戸にこれなき生業」の中に挙げられています。
今回伺った「扇屋」さんは1898年四谷で創業、1936年に佃に移り営業されている100年以上も続く老舗です。染み抜き、洗い張り、染め替え、仕立て直し、およそ着物に関することは何でもOK.。HPに料金表も掲載されており、メールで見積もりをお願いすることもできるので、初めてでも安心です。「染み抜き教室」も開催されており、簡単な染み抜きは自宅でも出来るそうです。
いただいた着物や帯のサイズや色が「ちょっと」という時、ご相談なさってみては如何でしょう。箪笥の中で眠っていた「着物」が甦るのは楽しみですよ。
きもの工房扇屋:
中央区佃2-13-8 地下鉄月島駅 4番6番出口から3分
TEL3531-6892、FAX3531-6893(10:00~19:00) 第2,3土曜,日祝休み
http://www.ougiya.tv/
[銀造]
2012年5月24日 08:30
八官神社は、お参りして祈願すると宝くじの当たる確率が高いと言われています。(真偽は保証できません) 以前から、何度も探していて、やっと、見つけることが出来ました。
場所は、写真のとおり、銀座日航ホテル、"Ginza Felice "と"鮨処うかい"の間に鎮座されています。 ギャラリー真玄堂さんから新橋寄りに15mぐらいのところです。
ご由緒について、京橋図書館の所蔵資料、広報誌「銀座はちかん」創刊号(昭和53年1月1日発刊)によれば、
「元禄の始めに播州明石城の城主、松平佐兵衛邸に祀られていた大神様のご神霊を現在の八丁目にお迎えしたお稲荷様です。以来、銀座の歴史とともに歩み続けてまいりました」 とあります。 詳細について、ご興味がありましたら、京橋図書館でお調べ下さい。 宝くじの当選も期待しながら、銀座の歴史を巡ってみましょう
[Mr.Chuo-ku]
2012年5月21日 08:30
「さくらんぼ」で有名な山形県東根市は中央区の友好都市だということは皆さんご存知でしょうか?
その山形県の特産品を販売しているアンテナショップが銀座にあります。
ショップの名前は「おいしい山形プラザ」
このショップには、山形の特産品やお土産などが販売されており、特に人気があるのは、山形の新しいお米「つや姫」
「つや姫」は「フード・アクション・ニッポン アワード 2010 プロダクト部門・最優秀賞」を受賞したそうです。
「つや姫」公式サイト
http://www.tuyahime.jp/
ワイン、日本酒をはじめ、お酒も沢山あります
画像↓をクリックすると拡大表示
有名人も多数来店
画像↓をクリックすると拡大表示
ショップ2階には「YAMAGATA San-Dan-Delo」というお洒落なレストランがあります
山形産の季節に応じた旬の食材をふんだんに使った多彩なメニューが展開されています。
おいしい山形プラザ公式サイト
http://oishii-yamagata.jp/04tenpo/
アクセス
http://oishii-yamagata.jp/04tenpo/02map.html
[kimitaku]
2012年5月16日 08:30
「有りがたや いただいて踏む 橋の霜」
「初雪や かけかかりたる 橋の上」
この二句は、俳人 松尾芭蕉が
詠んだ句です。
新大橋ができた嬉しさを、句にしたためたものです。
新大橋は 元禄6(1692)年架橋後、何度も架けかえられ、明治45(1912)年に鉄橋として架
けかえられました。
両国橋のまたの名前「大橋」に続く橋として「新大橋」の名前がつきました。
中央区の浜町と 江東区の森下方面を結び、全長 170M 幅 24Mです。
橋を渡る途中には、
由来、元の橋、歌川広重の錦絵が レリーフとなっていますが、
ゆったり流れる隅田川に、橋の色とマッチして美しく、
足を止めて碑文を詠む人も多くいらっしゃいます。
この橋のまたの名は「人助け(お助け)橋」 由来を説明しましょう。
(これからの話は多く「区内散歩6巻 川端茅舎 の項」に寄ります)
大正12(1923)年9月1日昼間際
東京は未曾有の揺れに襲われました。
>>>「土蔵の多くはまたたくまに崩れ、砂煙が巻き、目も開けられない状態でした。直後は物音もせず静寂の状態が続いたそうです。人々は不安にかられました。
近くの倉庫からの火はたちまち広がり火の粉の雨を降らせました。すぐ鎮火したものの、神田方面からの火勢は、人形町を焼き尽くしていきました。
川では津波ように真っ黒な水が押し寄せて来たそうです。
火勢が迫る午後8時、茅舎家族は蠣浜橋までくると甘酒横町は半分以上燃え上がり、多くの荷物と車で身動きが取れない状態でした。
茅舎一家は細川邸の塀を破り、庭園に出たものの火の手が回り、大橋の袂に出ました。
橋の真ん中に必死に割り込み座り込み、一昼夜を過ごしたそうです。
橋の両傍から火に攻められた人々は死に物狂いで真ん中へ押してくる、中央でさえ堪らぬほど熱い。阿鼻叫喚の様相。自分たちも死に物狂いで踏み留まる、やがて、傍らの人並みは動かなくなる。
橋の袂の人は皆焼け死んだそうです。
吹く風は熱く、橋はハンモックのように揺れ、川は濁流が轟々と流れていたそうです。」<<<
新大橋は、鉄製の床板で敷き詰められていたため、消失を免れました、当時、隅田川5橋のうち、ただひとつの鋼鉄製の橋でした。
新大橋の右岸、橋を渡る手前の左側土手下に「新大橋避難記念碑」があります。
大変大きな碑で、由来が細かく記してあります。この橋の上で多くの人が助けられ「人助け」たことと、教訓が記されています。
なお 旧新大橋の一部は
愛知県犬山市の明治村に保存されています。
記念碑を読んでいる最中に、
若い女性が、碑に向かい
深々とく手を合わせていらっしゃいました。
[銀造]
2012年5月15日 11:00
「銀座 夏野」、お箸の専門店です。 外国からの方々にも好評です。
今日は、「東京スカイツリー箸」をご紹介。
私は粋、妻には雅を買いました。使い勝手も良いですよ。
場所は、東京都中央区銀座6-7-4
その他の商品情報もご確認下さい。
http://www.e-ohashi.com/
食卓が楽しくなりますね。Bon Apetito!