大雪のあとは暖かい日が増えてきました。
よく日本橋図書館にいきますが、その途中に撮影しました。
茅場橋のたもとにある小さな公園です。梅の花かと思いますが、きれいで可憐な花を咲かしていました。
また、日本橋七福神のひとつ小網神社にも行きました。
正月のような参拝客ではありませんが、結構お参りの方がいらっしゃいました。
銭洗い弁天で有名なので、皆さん福を願って洗っていました。
そういう自分も福を願って洗いました。増えることを願いながら。
執筆者一覧最近のブログ記事 |
春近し
大雪のあとは暖かい日が増えてきました。
よく日本橋図書館にいきますが、その途中に撮影しました。
茅場橋のたもとにある小さな公園です。梅の花かと思いますが、きれいで可憐な花を咲かしていました。
また、日本橋七福神のひとつ小網神社にも行きました。 正月のような参拝客ではありませんが、結構お参りの方がいらっしゃいました。
そういう自分も福を願って洗いました。増えることを願いながら。 河津桜 <新川公園>
新川公園/隅田川テラスの中央大橋北東袂に植栽されているカワヅザクラ(河津桜)が開花中。 カンヒザクラとオオシマザクラの自然交配種とされ、花色は桃色ないし淡紅色で、ソメイヨシノより桃色が濃い。 ソメイヨシノのようにパッと咲いてパッと散るのではなく、2月上旬頃から開花し始め、約1ヵ月を経て満開になる。 開花の過程を楽しめ、更に満開状態を一定期間保つのも特徴とされる。 但し、開花時期はその年の天候に大きく左右されるようで、早い年には年初早々に開花する一方、2月中旬以降にずれ込んだりと、開花予想が非常に立てづらいとも云われている。 この桜の名前の由来となった河津町では毎年2月上旬から約1ヵ月「河津桜まつり」が開催される(今年は2月5日~3月10日)が、開花時期がずれ込む年もあるらしい。 いずれにせよ、春は着実に近づきつつあります。
開設350年、京橋・大根河岸をゆく
数々の歴史に彩られた中央区は、どこを歩いても興味深い史跡やゆかりの場所に遭遇します。この日は京橋界隈を歩いてみました。
昨今、このあたりも再開発が進み、観光特派員とも縁の深い〔FM中央〕のスタジオがある〔京橋スクエアガーデン〕も新たなランドスケープになってきましたね。
そのビルからもほど近いところに、皆さんおなじみの「京橋親柱」が残されています。前のオリンピックのときに首都高速建設のために埋め立てられた京橋川に架かっていた「京橋」。1959(昭和34)年に川が無くなって半世紀を超えました。しかし、この親柱を見ると、往時のことが偲ばれます。
かつて京橋川の北西側には野菜の荷揚げ場があり、〔大根河岸〕と呼ばれて大変賑わったそうです。東京近辺の農村から運ばれてくる野菜をここで取引していたわけで、今で言う青果市場の原型です。以前は近郊野菜である〝亀戸大根〟や〝練馬大根〟などが水運を利用してたくさん運び込まれ、その印象から「大根河岸」と呼ばれたようです。 やがて、関東大震災の後に、市場の機能は築地や神田に継承されていきました。
なんと今年は大根河岸ができてから350年目の記念すべき年にあたるそうです。(2月が生誕の月という説があるのでまさしく今がそのときです!) 江戸幕府4代将軍・家綱の時代にルーツを遡れると聞くと重みを感じます。「京橋大根河岸会」の皆さんがそれを記念して2年前から毎月中旬に大根や各種野菜を無料配布するという記念行事を開催されています。2月は14日(金)の予定でしたが、あいにく大雪で中止になったようです。次回は3月14日(金)正午から開催される予定ですので、一度是お訪ねください。
〔大根河岸〕の跡地には記念碑が建立されており、歴史と風格を感じます。また、地元の方がこの由緒にちなんでプランターに大根を植えて育てていらっしゃいます。現代にささやかな〔大根河岸〕の再現ができることを楽しみにします。
それから、余談ながらお話ししますと、歴史小説の金字塔「鬼平犯科帳」には、この〔大根河岸〕にあったという〔万七〕という料理屋が登場します。夏場は店を閉めているというこの店は、〝兎汁〟で有名だったという設定です。鬼平ファンにはよく知られたスポットです。 江戸時代は原則肉食禁止でしたが、いろいろ工夫して食べていたことは知られています。〝ウサギ〟も鳥の一種だと無理やりみなしてOKサインだったのですね。したがって、ウサギは鳥と同じように「一羽、二羽・・・」と数えます。
いろいろそんなことを考えながら歩く京橋界隈。このあと、銀座に向かうか、日本橋に向かうか、ぼくにとっては、江戸の〝思案橋〟でもあります。 雪化粧 <佃公園>
発達した低気圧の影響で、2月8日、関東甲信地方は記録的な大雪となった。東京23区でも13年ぶりに大雪警報が出され、都心でも45年ぶりに27㎝の積雪を記録した。 因みに昨年1月14日の大雪の際の積雪は8㎝。 最低気温も今季一番-0.8℃の冷え込みで、最高気温も4℃にとどまり、この日の雪質は粉雪。強風も吹き荒れ、横殴りの吹雪となった。
雪が日常的でないだけに、毎々、交通機関に大混乱を引き起こすが、喧騒の都会を白いベールで包み、暫時、静寂感をもたらしてくれる。 佃公園も普段とは違う幻想的な墨絵の世界。 気象庁は出来るだけ外出を控えるよう注意を呼び掛けたが、それでも子供たちは元気。 公開空地のスロープでは "雪そり" を楽しむ姿も見られた。 隅田川を航行する水上バス「ホタルナ」の船体上面にもうっすらと雪が積もっている。
立寒椿にメジロ <浜離宮恩賜庭園>
近年、都市部でもメジロがごく普通に見られるようになったとよく耳にはさむ。 確かに晩秋~冬期はサザンカ(山茶花)・カンツバキ(寒椿)、春先になればウメやヤブツバキの花を訪れている姿をよく見かける。 この時期、浜離宮恩賜庭園では梅林傍らのタチカンツバキ(立寒椿)の木立ちにメジロが頻繁に通ってきている。 メジロはスズメ目メジロ科に属し、スズメより小さく、留鳥あるいは漂鳥とされる。 頭部から上面は黄緑色で、喉から胸の上部は黄色、目の周りに白いアイリングがある。 胸から脇腹は淡褐色。 嘴は黒く基部は鉛色で、脚は鉛色。 日本では冬季の寒冷地を除く全国で、低地から山地にまで広く棲息し、市街地の緑地でもよく見かける。 甘い蜜を好み(筆状になった舌先で絡めた蜜を口の中に運ぶとされている)、比較的警戒心は緩く、里山や市街地でも庭木や街路樹などの花を巡って生活していることから、昔から人々に親しまれてきた野鳥のひとつ。 メジロの特徴的な行動に、枝の上にとまって休む時、何組かが集まってぴたっと寄り添い互いに押し合う習性があると云う。"込み合っていること" "物事がたくさんあること" の譬え<目白押し>の語源と聞く。 カンツバキはサザンカの園芸種とされる。(但し異説もあるらしい) 若い枝や葉柄、葉の裏などに毛はあるが、サザンカより少ない。葉の表面は濃緑色で光沢があり、縁には鋸歯がある。遅咲きで12~2月に開花。桃紅色の八重で、先端は浅く裂け、縁は波状。 一般に低木で、高さ3m程になる品種はタチカンツバキ(立寒椿)と名付けられている。 メジロが頻繁に訪れた足跡として、タチカンツバキの花弁の下部がだいぶ傷んでいる。(左上写真) 尚、園内には当該タチカンツバキの他、大手門出入口付近にはカンツバキが、庚申堂鴨場周辺にはヤブツバキが植栽されている。 メジロは多くの小鳥と同じように春夏は虫を、秋冬は木の実も食べるが、花の密も好物。 近年都市部では、マンション・事務所ビル等の公開空地やファサードの生垣・植込みにカンツバキが植栽されるケースが多いと聞くが、街でメジロが増えたとすれば、冬場も間断なく花密源がある環境が整いつつあることも一因に数えられるのではないかと考えられている。
|
メニューアーカイブリンク集 |