[巻渕彰/写楽さい]
2012年12月11日 08:30
師走に入り、暦の上では「大雪」、七十二候の12月7日~11日頃は「閉塞成冬」(そらさむくふゆとなる)。今冬は寒さが厳しいようだ。秋はあっという間にとおり過ぎた感があるが、ようやく!? 紅葉がはじまった場所がある。
日本橋郵便局東側の日本橋一丁目から八重洲通りに突き当たる日本橋三丁目まで南北約1kmにわたる昭和通りと首都高速道に挟まれた、「江戸・もみじ通り」である。
ここに「イロハモミジ」が街路樹として植えられている。葉が「いろはにほへと」と7裂ほどの掌状になることからの由来で、「いろは楓」「高尾楓」とも呼ばれるそうだ。
東側の首都高速道は東京オリンピックにあわせ開通したが、それ以前は楓川(もみじがわ)と呼ばれた堀割であった。
江戸初期の絵図をみると、現在の八重洲通りには堀割があり、これが「紅葉川」といわれたという。それに並行して数本の舟入堀が掘られ、楓川に接していた。
現「江戸・もみじ通り」辺りに相当する楓川西側の河岸は本材木町として木材物資集積の一大拠点であった。これが現在の「木場」の原点である。その後は、現在の千代田橋と新場橋の間に「新魚場」と呼ばれた日本橋魚市場と肩を並べる魚市場が設けられた。これが「新場」であった。
江戸初期からの歴史をもとに、この道路を「江戸・もみじ通り」と名付けられたのだろうか。紅葉川とか楓川の命名は、江戸城内の紅葉山に因むものともいわれている。紅葉川の名称は、現在の中央警察署の地に、かつて都立紅葉川高校があったことなど地元には親しまれた呼び名であった。●巻渕彰
[滅紫]
2012年12月10日 08:34
坂東玉三郎さんが久しぶりに「日本橋」に出演するという話題の舞台。「高野聖」「海神別荘」「天守物語」等、鏡花ものには定評のある玉三郎さん演じる久々の「お孝」。大正の初めの日本橋が舞台でもう1人の芸者清葉は高橋恵子さんが演じます。「春の朧の一石橋」のたもとにあでやかな芸者姿の玉三郎さんが登場するとあまりの美しさに場内は一瞬シーン、大拍手です。今回大抜擢と評判のお千世役の斉藤菜月さんも初々しくていい感じです。
大正4年本郷座での初演に際し、この役を切望した当時はまだ駆け出しだった花柳章太郎が祈願に訪れたという「西河岸地蔵寺教会」を回ってみました。お芝居の中でも「縁結びの西河岸地蔵尊」というせりふが度々出てきます。地元の方にとても親しまれてきたお地蔵様なのですね。石段の隣の説明板によると「享保3年(1718)年、西河岸町の中ほどに堂宇を建立し天台宗の僧天海の持物と伝わる地蔵菩薩を安置したのが始まり」とのこと。地蔵菩薩は日を限って至心に祈願すると霊験あらたかであることから「日限地蔵」と称され寿命を延ばし福利を授ける延命の祈願寺として信仰を集めてきたそうです。
こちらにある「お千世の図額」はこの花柳章太郎がめでたくお千世の役に起用され、2回目のお千世役となった明治座での上演に際し、小村雪岱に描かせ奉納したものとのことです。
お芝居を見てその舞台となった場所を訪れるのは楽しみが倍加します。勿論当時そのままの景色はありませんが、「雛祭りのあとのさざえと蛤を川に放ったのはこのあたりか?」「お孝の家は?」とか想像しながら歩いてみるのはなかなか楽しいものです。仕上げは「願い事のかなう」「縁結び」の地蔵尊にお参りしましょう。
勘三郎さんの訃報の翌日だったので幕間では早すぎたご逝去を悼む声があちこちから聞こえてきました。南座顔見世では勘九郎さんの襲名口上で泣いてしまいそうで今から不安になっています。ご冥福をお祈りします。
西河岸地蔵寺教会」八重洲1-2-5
[下町トム]
2012年12月 8日 09:00
今回もまた区内の古社や名刹を訪ねるシリーズでお邪魔します。
年末になると、いつも話題になるのが〝年末ジャンボ宝くじ〟です。ある日、西銀座の〔チャンスセンター〕の前を通りかかると、長い行列ができていました。縁起のいい日には特段多くの人が並ぶそうです。確率論からすると砂浜で超小粒のダイヤを探すようなものでしょうが、どこか夢のある話ですので、毎年人気は衰えません。
そこで、今回は〝宝くじ〟に縁のある『椙森神社』に参詣しました。古く藤原秀郷が平将門の乱の平定を祈願したという由緒を持ち、大田道灌が京から稲荷神を勧請したということです。江戸時代から霊験あらたかな社として知られ、柳森、烏森とともに〝江戸三森〟と呼ばれたということです。
もともと稲荷社ですが、後に恵比寿神も祀られて〝日本橋七福神〟に数えられています。また、第1番で紹介した近くの宝田恵比寿神社とともに〝べったら市〟でも賑わうお宮です。
江戸時代には、今の〝宝くじ〟の起源である〝富籤〟が江戸市中でも幕府の認める場所に限って開催され人気を博したということです。主に寺社の普請のための勧進を名目に行われたわけですが、当然ながら人々は信仰よりも〝一攫千金〟の思いが強かったのではないでしょうか。当時の富札をみると、とても大仰な気がします。1枚1分(1両の4分の1)もしたといいますから、とても高価なものだったんですね。
ここ『椙森神社』も〝富籤〟が開催された場所のひとつで、その歴史を偲んで、境内に〔富塚〕が建てられています。現代では〝宝くじ〟の当選祈願にこの〔富塚〕にお参りする方もいらっしゃるようです。
〝富籤〟と聞いて思い出すのは、落語『宿屋の富』です。馬喰町の宿屋に泊まった男が調子に乗って金持ち自慢のほら話をしていると、それに付け入られて、籤を買わされる羽目になるという話です。結局この籤が大当たりとなって話が大きく展開するのですが、この時に〝富籤〟の舞台になるのが『椙森神社』です。噺家によっては、舞台を『湯島天神』にしている場合もありますが、馬喰町の宿屋が斡旋しているという筋立てならば、やはり『椙森神社』のほうが本当らしく思えます。小さん師匠は『椙森神社』でやっておられました。なお、この話はもともと上方落語の『高津の富』が原話です。大阪では高津神社が舞台になっています。
まあ、富籤の当たり運はあまり期待しないで、堀留町から人形町へ、あるいは室町あたりへ、ブラブラ散策する際には是非お立ち寄り下さい。こじんまりしてはいますが、品のいい神社です。きっと何か幸運がやってくると思いますよ。
「空籤は無き人の世の小春かな」
続きを読む: 区内寺社巡礼~第6番『椙森神社』
[Mr.Chuo-ku]
2012年12月 3日 08:25
中央区日本橋本石町には日本銀行、貨幣博物館がありますが、日本銀行本館(重要文化財)、貨幣博物館を見学できるツアーがあるのをご存知でしょうか。
見学内容:
旧地下金庫、旧営業場、日本銀行関連の多様な史料を展示した史料展示室など
日本銀行の仕事や建物、貨幣の歴史などをテーマにしたレクチャー付見学も定期的に開催
(事前予約制、人数制限あり、無料)
本館ツアーのお土産↑
(古くなったお札の裁断片(3万円分相当))
公式サイト
http://www.boj.or.jp/about/services/kengaku.htm/
バーチャル見学ツアー入口
http://www.boj.or.jp/z/tour/b/index.htm