中央区観光協会オフィシャルブログ

中央区観光協会特派員ブログ

中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

執筆者一覧

>>このブログについて

最近のブログ記事

竹久夢二(1884~1934)港屋ゆかりの地 八重洲1-2-1

[ゆりかもめ] 2011年8月12日 08:30

画家であり詩人である竹久夢二は大きな目の可憐な少女の絵を描く事も得意でした。

呉服橋東詰には「港屋絵草紙店」の跡もみられます。

永代通りの「新呉服橋ビルディング」の前にそれが記されています。

この地は、夢二が暮らしデザインの発信をし、恋人彦乃との思い出の地でもありました。

お江戸日本橋の賑わいや風情も大好きだったようです。

でも大正12年の関東大震災が発生した直後の日記には「江戸はなくなったね・・・」と日記に記されています。


港屋絵草紙店跡地  旧呉服橋東詰2番地

大正3年~5年、夢二のデザインした小間物を売り東京の名物として知られたという。

2階にはギャラリーを併設、若き恩地幸四郎達が集まった。

震災や戦災を経験した街であるが夢二も詠んだ鈴掛(プラタナス)は再び旧店前の永代通りに茂っている。        2011_0810 待てど暮らせどこぬ人を  0054.JPG    待てど暮らせど 来ぬ人を 宵待草のやるせなさ 今宵は月も出ぬそうな・・・・・・


2011_0810 夢二の手紙 2 0010.JPG 上記は「榛原に宛てた夢二の手紙]

下記の封筒の裏には「野州那須温泉 小まつや 竹久夢二」とある。

消印の「3・6・13」は昭和 3年6月13日と思われる。

「はいばらの、どうさのある方を百枚このものにお渡し下され候」とある。

榛原は夢二に封筒や便箋、千代紙、団扇などのデザインを依頼していた。

夢二は自分用に榛原の和紙を好んで使用する「お客様」でもあった。

          2011_0810 夢二よりの封筒 写真0015.JPG 「株式会社 榛原」の取締役会長の中村晴子様にお許し頂き特別に写真を撮らせて頂きました。

                      http://www.haibara.co.jp/


夢二は彦乃と共に日本橋や一石橋、日本銀行本店、三越本店等を歩いた事と思います。

        2011_0810  榛原の絵 0007.JPG榛原は文化3年(1806)創業以来200年・・・・余り・・・

和紙の老舗として東京日本橋本店を中心に和紙及び紙製品を中心に販売をなさって居ります。

「帝国日本東京日本橋之図」(明治20年頃)に描かれています。

雁皮紙榛原」の暖簾が示すように江戸の庶民に最初に雁皮紙を売り出したのが始まりです。

 

 

 

 

お岩さんゆかりの寺社めぐり

[ジミニー☆クリケット] 2011年8月 7日 16:50

夏といえば怪談shockですから・・・

Kuniyoshi.jpgdownwardleft東海道四谷怪談

「神谷伊右エ門 於岩のばうこん」

(歌川国芳)

 

 

毒薬を盛られたお岩さんが、髪を櫛で梳くと、ごっそり髪の毛が抜け・・・という四谷怪談の名場面「髪梳き」が、私にはあまりにもインパクトが強すぎて、何か「お岩さん=怖い人」のような印象を持ってしまうのですが、そもそも、お岩さんは、何も悪いことをしてないんですよね。

 

ということで、新川にある「於岩稲荷田宮神社」のことを調べていると、四谷にも同名の「於岩稲荷」があるらしく、そもそも「四谷怪談」なのだから、こちらがご本家sign02ということで、お岩さんゆかりの神社、お寺を訪ねてみました。


まずは、於岩稲荷田宮神社(中央区新川2-25-11)

最寄駅は、京葉線、日比谷線の八丁堀駅です。

shin1.JPGのサムネール画像 shin2.JPGのサムネール画像

shin3.JPG

upwardright   鍛冶橋通りから入った車の往来の少ない通りに面した静かな一角にあります。敷地は、初代市川左団次の所有地だったとのこと。

後述の四谷の於岩稲荷が明治12年に火事で焼失したのを機に、当地に移転したとのこと。

この社殿も、昭和20年の戦災で焼失しましたが、戦後、四谷の於岩稲荷とともに復活して、現在2つの稲荷神社があるそうです。

 


ここからは、中央区ではなくなるのですが、四谷の於岩稲荷田宮神社(新宿区左門町17番地)

最寄駅は、丸の内線四谷三丁目駅。

yotsu1.JPGのサムネール画像  yotsu2.JPGのサムネール画像
こちらも、外苑通りから1本入った閑静な住宅地にありますup

神社の歴史が詳しく書かれた説明書が、本殿の縁側に置かれていました。

お岩さんは、江戸初期に実在した人で、信心深く、その信心のおかげで田宮家が隆盛したのに近隣の人々があやかろうと、屋敷社を「於岩稲荷」と呼んで、信仰するようになったのが始まりだそうです。


続いて、於岩稲荷陽運寺(新宿左門町18番地)は、於岩稲荷田宮神社と通りをはさんですぐ近くにあります。

於岩稲荷田宮神社(近くの赤い幟)から於岩稲荷陽運寺(遠くの赤い幟)を見ると、こんな感じです

down

yotsu3.JPG


於岩稲荷陽運寺には、「お岩さま縁の井戸」がありました。

yotsu4.JPG yotsu5.JPG

 

最後に、妙行寺(豊島区西巣鴨4-8-28)

最寄駅は、都電荒川線の新庚申塚駅。お岩通り商店会を通って到着down

su1.JPG su2.JPG

お岩さんのお墓があります。何で西巣鴨にsign02と誰でも思うらしく、明治42年に当地に移ってくる前は、妙行寺は四谷にあったとのこと。納得。


今回、お岩さんゆかりの場所をまわり、各所の説明板などを読んで感じたことは、四代目鶴屋南北の創作者としての力量のすごさですね。当時の江戸庶民に親しみのある人物(お稲荷さんの名前にまでなっていたお岩さん)、赤穂浪士のあだ討ち、そして当時起こったショッキングな事件をうまくミックスして、なんとも魅力的なエンターテインメントを作り上げてしまいました。そして、その作品は、初演後190年近くたっても、夏になると決まって上演されるほど、時代を超えて人気の演目であり続けているのですからgood


 

 

西本願寺唐門の麒麟

[illy-ship燦壱朗] 2011年8月 5日 08:30

今年は親鸞聖人750年大遠忌で京都西本願寺が大変賑わっています。

西本願寺と中央区は大きな縁があります。

ひとつは築地本願寺。

正式名称を浄土真宗本願寺派本願寺築地別院と言い、 京都西本願寺の別院で、

今年はイベントがたくさん行われています。

ちょうど、8月6日(土)まで納涼盆踊り大会も開かれております。


もうひとつはこの唐門。

中央区新川に本社がある麒麟麦酒のマークの元となったと言われています。

キリン.jpg

親鸞聖人750年大遠忌である今年、築地本願寺に行かれてはいかがでしょうか。

また京都の西本願寺では、秋にも毎月特別拝観ができる日があります。 普段非公開の国宝飛雲閣や書院が見られますので、この麒麟を見ることもおすすめします。

 

 

 
1