江戸時代、このあたりは越前国福井藩主 松平越前守の屋敷地であったようだ。
屋敷は三方が堀に囲まれていたため、
これが「越前堀」と通称されていたらしい。
越前堀の護岸は石積だったらしい。
明治になり徐々に堀は埋められ
関東大震災後に大部分が、戦後に完全に埋めたてられました。
町名が新川となり現在に至っている。
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御菓子匠 「梅花亭」(旧霊岸島)の亜墨利加饅頭
9月8日は二十四節気の一つ、「白露」で「この頃から秋気が漸く加わる」と云われていますが、残暑はまだしばらく続くようです。とはいえ朝夕は少し涼しくなってきたような。・・こんな時期、仕事が一段落しホッとした時にやはり欲しいのはちっとした甘味。今回ご紹介するのは寛ぎのティータイムに、抹茶・緑茶・紅茶そしてコーヒーにも相性ぴったりの和菓子です。
御菓子匠「梅花亭」は嘉永3年(1850年)に大伝馬町で創業の老舗で東都のれん会加盟店のひとつです。 お三時に久しぶりに一服点てて亜墨利加饅頭をいただきました。「栗饅頭の原型」だと伺いましたが大きさといい、甘さといい程の良い上品さです。「お客さまに快いゆとりを味わっていただくこと」「庶民性の中に上品さを」がお店の言い伝えと伺い納得。江戸末期に創出されたお菓子を160年近い後世の私たちがいただくことができるという不思議さと老舗の継続の重みを感じながら、歴史の変遷にしばし思いを馳せました。
梅花亭のある新川2丁目は、以前は霊岸島といわれ、地名の由来は寛永元年(1624年)雄誉霊厳上人が葦原を埋め立てたところに霊厳寺を創建したことによるといわれています。霊厳寺は明暦の大火(1657年)で延焼し、その後万治元年(1658年)に現在の江東区白河に建替えられました。こちらには松平定信や大名の墓も多くあることで知られています。歴史的な由緒のある地名がどんどんなくなってしまい、この「霊岸島」も今はありませんが、歴史好きや時代小説好きの方には歌川広重の「東海道五十三次」の版元保永堂や河村瑞賢の屋敷があったところとしてご存知の方も多いことでしょう。梅花亭も当時「霊岸島といえば梅花亭」といわれる程地名と密着していたとのこと。お店の住所に(旧霊岸島)と記載されているほど今でもこだわりをお持ちと拝察いたしました。
梅花亭さんが大伝馬町のべったら市の時期だけ作る「切り山椒」と「喜利羊肝」は江戸名物のひとつになっているとのこと。その時期にまた粋な女将さんにお目にかかりにお邪魔することにしましょう。 梅花亭:中央区新川2-1-4(旧霊岸島) TEL3551-4660-4039 日比谷線。東西線茅場町下車3分 深川不動尊仲見世店 TEL3641-3528 日本橋小伝馬町店 TEL3661-7604 定休日:日祝(深川店は無休 )営業時間:09:00~17:00 続きを読む: 御菓子匠 「梅花亭」(旧霊岸島)の亜墨利加饅頭
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