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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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三光稲荷神社 新年の寿ぎ 縁起の良い 御由緒

[銀造] 2018年1月11日 16:00

三光稲荷神社に初詣に行き、御由緒書きを頂いてまいりました。

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 ご祭神は、三光稲荷大神(立像大神)、田所稲荷大明神(立木柱像)です。

(日本橋二の部町会史ー昭和41年発行)によれば、今の三光稲荷は「江戸惣鹿子」(元禄二年、1689年)によれば、「はせ川町、三十郎稲荷」とあるが、それといわれ、名人芸をうたわれた歌舞伎役者 関三十郎(二代目)の屋敷内に勧請されていたので、その名があったが、それがいつとはなしに、三光稲荷と改まったとされている。(中略) 堺町(今の芳町二丁目一町会史編集時の町名)中村座で出演した大阪の歌舞伎役者、関三十郎が演技中、場内に霊光(電光ならん)のごとき閃きあり、観客は彼の芸体に放光せし如く見えて賞賛される名声を不動のものにしたと伝えられている。 彼は、伏見稲荷の神璽を庭内に奉斎しているので、これは神明の加護によるものと、自分のの二字をもって、三光稲荷と称し、これを長谷川町の建石三蔵が庭内に安置し、町内の氏神として崇敬したといわれる。(以下、割愛させていただきます)

(行方不明の愛猫、無事帰る)

「三光稲荷神社参道」と銘ある石碑(昭和二十九年甲子一月)は新宿区下落合、三島徳七(燈台教授一冶金学)、二三子ご夫妻が、愛猫の不明に際し当神社に祈願したところ、三か月振りに無事帰った御礼に建立したものである。

(三光神社の御神体がお戻りになる)

関東大震災の時、三光神社の神主が御神体を、(福島県郡山市久貝の三春村へ)奉安して逃げ延び、その後、ようとしてわからままになっていたものだった。かくて、御神体は無事、堀留町に戻ってきた。 

 そして霊験の多い、こうした話も伝わり各方面の崇敬するところとなった。 <中略>

御由緒には、「江戸歌舞伎」、「吉原遊郭」の事も記されてあります。 次回、ご参拝の際には、御由緒書きも頂いて下さい。きっと、ご利益があるでしょう。

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新年1月4日は、お神酒を頂き、身体髪膚、五臓六腑が洗われて、清々しい気持ちになれます。

 

 

水天宮のお礼詣り 子宝いぬ 戌年なればの初詣

[銀造] 2018年1月 8日 18:00

 水天宮に初詣に出かけました。 お礼詣りに来られた若夫婦とご両親にお会いしました。新生児を抱いた娘さんの写真撮影の許可を頂きました。

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 今年の干支は、戌です。写真は、「子宝いぬ」と呼ばれる安産の象徴の銅像です。

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 犬は多産で安産なことからお参りする方が跡を絶たないようです。その祈願の方法の一つに「戌(いぬ)の日の安産祈願」がありますね。 私の長男は水天宮にお参りに来て10か月後に授かりました。そして、その長男の長女もお参りに来て10か月後に授かりました。 私は、水天宮のお犬様は、日本で一番に偉い犬だと(個人的に)信心しています。 

 私と同年代の女性が、「子宝いぬ」に触った手で、ご自分のお腹を触っていました。 「お腹が大きくなりますよ!」と言ったら、茶目っ気たっぷりに、「あらっ、それは困るわ!」という、楽しいご婦人もご参拝されていました。 戌年なればの、楽しい初詣でした。 水天宮と「子宝いぬ」のご案内は、こちらです。 http://www.suitengu.or.jp/keidai/

 

 

太田圓三の生涯

[yaz] 2018年1月 7日 18:00

2017年11月のブログで『木下杢太郎記念館(伊東市)を訪問したこと、木下杢太郎の人となり』を紹介した。

/archive/2017/12/post-4762.html

 

今回は"永代橋"の架橋を担当したことで有名な木下杢太郎の4歳年上の実兄、「太田圓三」を紹介する。

学生時代には東京で同居もしていた仲の良い兄弟であった。

木下杢太郎_家系図.jpg 太田圓三_顔写真.jpg

 

太田家の次男「圓三」は、東京帝国大学土木工学科を卒業後、逓信省鉄道作業局に入局し、橋梁設計を振り出しに、房総線工事や上越清水トンネル工事などを担当した。工事の機械化や路線の図上選定法の導入など、幅広く鉄道技術の向上に貢献し、「鉄道始まって以来の天才技術者」と呼ばれた。

 

大正12年(1923年)、関東大震災によって壊滅的な被害を受けた東京を復興するため帝都復興院が設置されると、土木局長に任命され当初は未経験の分野のため辞退したが、親友十河信二(戦後、東海道新幹線建設起工時の国鉄総裁)の強い勧めにより就任した。交通網や衛生設備、安全性、景観などを備えた「文明的都市・東京」を目指した。

*車社会の到来を目越した道路などの拡張

*土地区画整理

*永代橋・清洲橋など震災で焼け落ちたものや新設など約150もの橋梁について、

 弟・杢太郎や芥川龍之介・木村荘八などの芸術家の意見を聞き景観に配慮した架橋を

 行った。

 

以下の図は、永代橋・清洲橋などの橋デザインを示している。全て奇抜なデザインのため採用されなかった。

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*高速鉄道(地下鉄9の必要性を説き、鉄道網の具体化に尽力した。

(下図の鉄道網図は小さくて駅名が見えないかもしれませんが、都電・省線(JR山手線・中央線など)と共にメトロ銀座線・丸の内線など高速鉄道(地下鉄)など将来を見据えた鉄道網を示す。東西線・日比谷線らしきものも描かれている。)

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圓三は現代まで続く近代都市・東京をデザインし、その礎を築いたのである。

 

帝都復興に心血を注いだ圓三であったが、大正15年(1926年)3月21日、志半ばにして自殺した。区画整理に対する無理解・復興局疑獄事件(土地買収にからんだ汚職事件)の発覚などによる心労が積み重なり、突発的な事件であったと言われる。

45歳の若さでこの世を去った。

 

昭和6年(1931年)隅田川相生橋畔中之島公園に肖像レリーフが設置された。しかし震災で破壊されたため昭和30年(1955年)現在の神田橋公園に移築された。

「(圓三が)万難を排して立案計画せられたる復興事業は、どこを切っても故人の血が流れ魂が生き続けてゆくだろう」(元鉄道大臣 井上匡三郎)

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兄圓三の死を悼む杢太郎の詩が雑誌「明星」第8巻4号(大正15年(1926年)6月)に掲載されている。

 

タイトル「永代橋工事」

過ぎし日の永代の木橋はまだ少年であったわたくしにどれほどの感激を与えたらう。

人生は悲しい、またなつかしい、面白いと、親、兄弟には隠した 酒あとのすずろ心で、伝奇的な江戸の幻想に足許危く眺めもし、佇みもした。

それを、ああ、あの大地震、いたましい諦念、帰らぬ愚痴。

それから前頭の白髪を気にしながら 橋に近い旗亭の窓から あの轟轟たる新橋建設の工事を うち眺め、考えた。

これも仕方がない、時勢は移る。

基礎はなるべく近世的科学的にして、建築様式には出来るだけ古典的な 荘重の趣味を取り入れて貰いたい。

などと空想して得心した。

それだのに同じ工事を見ながら 今は希望もなく、感激もなく、うはの空にあの轟轟たる響を聴き、ゆくりなくもさんさん涙ながれる。

あんなに好きであった東京、そして漫漫たる墨田のながれ。

人生は悲しい、ここは三界の火宅だと 

-ああ恐ろしい遺傳-多分江戸の時代に この橋の上で誰かが考えたに相違ない、それと同じ心持が今の私に湧く。

水はとこしへに動き、橋もまた百年の齢を重ねるだろう。

私の今の心持は ただ水の面にうつる雲の影だ。

 

行く水におくれて佇む木屑かな (大正15年5月)

 

 

いつの時代にも「基礎はなるべく近世的科学的にして、建築様式には出来るだけ古典的な 荘重の趣味を取り入れて貰いたい。」という意見が出るのは普遍的なものですね。同感です。

 

 

 

淑気 下町八福神参り

[あすなろ] 2018年1月 6日 18:00


東京下町八福神参りは、東京都中央区と台東区に

鎮座する八つの神社にお参りし、末広がりに通じる

ご神徳を受けるというものです。

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下町を巡るかなり広範囲な道のり。

八つのお社をお参りすると共に、情緒豊かな

街並みを楽しめるのもこのコースの特徴です。

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地域に密着した神社もあり、

柔らかで暖かな心地良さを感じます。

どの神社から巡ってもよろしく、

いつ始めても構いません。

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数日に分けて巡られる方もいらっしゃるようです。

ゆっくり出かけてみてはいかがでしょうか。

 

◆八社参って、八つの恵み

 下谷神社  (家内安全) 台東区東上野3-29-8
 小野照崎神社(学問芸能) 台東区下谷2-13-14
 鷲神社   (商売繁盛) 台東区千束3-18-7
 今戸神社   (縁結び) 台東区今戸1-5-22
 第六天榊神社(健康長寿) 台東区蔵前1-4-3
 水天宮  (安産子授け) 中央区日本橋蛎殻町2-4-1
 小網神社  (強運厄除) 中央区日本橋小網町16-23
 住吉神社  (交通安全) 中央区佃1-1-14

 

 

 

第33回 日本橋三越本店 日本橋七福神めぐり

[銀造] 2018年1月 6日 16:00

「第33回 日本橋三越本店 日本橋七福神めぐり」は、1月4日に開催され、沢山の方々が参加されて、大変盛況でした。 

協賛は日本橋七福会、後援は中央区観光協会です。

 

日本橋三越の中央通りに面した所に受付があり、参加証、引換券をいただき出発です。 

お参りする神社は、①小網神社(福禄寿・辨財天)、②茶ノ木神社(布袋尊)、③水天宮(辨財天)、④松島神社(大国神)、⑤末廣神社(毘沙門天)、⑥笠間稲荷神社(寿老神)、⑦椙森神社(恵比寿神)、⑧寳田恵比壽神社(恵比寿神)です。

各神社への道筋には、日本橋三越などの方々が立って、道案内をして下さいました。

全ての神社に参拝して大変清々しい気持ちになりました。

 

七福神参拝の記念に、山本海苔店から名橋・日本橋をデザインしたオリジナル小皿、 日本橋三越本店からは干支の絵馬手ぬぐいをいただきました。

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三越さんからの手ぬぐいには、

『絵馬手拭 「戌」 犬は古くから人との付き合いが永い親友といえます。また、「戌」は何でもきちんとやり遂げる性格を持つと言われます。新たなる年も堅実に物事を選べる良い年になりますようお祈り申し上げます。』との、メッセージが添えられていました。

 

 

 

今年は戌年、元日にわんこと七福神めぐり

[ジミニー☆クリケット] 2018年1月 3日 18:00

明けましておめでとうございます

今年もよろしくお願い申し上げます

さて、今年は戌年です

ということで、快晴の元日に、我が家のわんこ日本橋七福神をめぐりました

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まず、小網神社福禄寿弁財天)です

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最後尾」と書かれたプラカードまで出ていて、参拝客の行列が長かったです

ススキで作られたみみずくのお守りまゆ玉おみくじ、11月のどぶろく祭りが有名で、社殿の隣に建つ五角形の神楽殿(上の写真)が印象的です

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茶ノ木神社布袋尊)です

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神社の周りにお茶の木が植えられています

稲荷神ですが、火伏せの神とも言われています

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水天宮弁財天)です

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こちらも、参拝の方が多かったです

ご存知、安産水難水商売にご利益のある神様で、戌の日の安産御守が有名です

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水天宮通りにて

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松島神社大国神)です

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創建当時は、周辺が入り江の小島)で、島内にが茂っていたというのが社名の由来だそうなのですが、現在は、神社がビルの中に組み込まれています

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甘酒横丁を通って次の神社へ向かいます

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浜町緑道に建つ勧進帳の弁慶像の前でひと休み

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末廣神社毘沙門天)です

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社名の由来は、社殿の修復時に、中啓の扇(=末広)一柄が発見されたことに因むとか

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笠間稲荷神社東京別社寿老人)です

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茨城県笠間市にある笠間稲荷神社から分社した神社です

五穀水産殖産守護神として信仰されています

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椙森神社恵比寿神)です

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この神社は、江戸時代に大流行した富くじ興行の場所として有名で、境内には、区民有形民俗文化財の「富塚の碑」(上の写真)があります

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寶田恵比寿神社恵比寿神)です

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御神体の恵比寿神は、徳川家康)から下賜されたもので、運慶作とも左甚五郎作とも伝えられています

毎年10月には「べったら市」でにぎわいますが、元日の今日も、神社の前ではべったら漬けが売られていました