[ビッキー]
2013年1月 8日 08:30
みなさま、特派員のビッキーです。本年もどうぞよろしくお願い致します!
さてさてすでに昨年のお話になりますが、年の締めくくり・・・ということで「第九」を聴きに行って参りました。とは言っても、お洒落をしてサントリーホールに・・・でもなく、美術館を詣でつつ文化会館に・・・でもありません。
訪れましたのは、日本橋三越。恒例の「三越の第九」は1階の中央ホールで催され、今年で28回目になります。
12:30からと14:30からの2回公演。14:30の公演に合わせ、14:00少し前に到着してみると・・・すでにあらかたの席は埋まっていました。人気のほどが窺えますね。しかしビッキーは素敵な全体像を撮影すべく3階へ。まだこちらは余裕があり、正面のベストポジションをゲット!30分ほど待つ間、お隣にいらした三越ファンの淑女(毎年いらしているのだそうです!)と楽しい会話も弾みます♪
さてさて、これが圧巻のコーラス隊の皆様。天女像にも勝る大迫力です!
ソプラノ、アルト、テノール、バスの素晴らしいソリストの方々をはじめ、200人超のコーラス隊は、台東区民合唱団の皆さんです。
いつの間にやら1階のホールは立ち見のお客さんで溢れかえり、各フロアのバルコニーもたくさんの観客で埋め尽くされていました。
賞味30分ほどでしたが、こんな素敵な第九が無料で楽しめるとは、さすが三越。お隣の淑女と「また来年こちらでお会いしましょうね」なんて素敵な挨拶を交わし、とても温かな気持ちで2012年を締めくくることが出来ました!
[ムーミン]
2013年1月 7日 16:10
1月3日箱根駅伝の応援スタッフの一員として 午前9時に コレド日本橋の通りの前あたりに集合した。人通りももまばらだった。
午前10時ちかくに コレド日本橋の前でお囃子とともに 獅子舞が披露された。
すこし辺りを ウロウロすると 日本橋の橋の両側に 野球のボールのようなものが入った箱がずらっと並んでいた。
チョットさわってみると 黴みたいなものが感じられた。橋の中程に このボールとかかわりのありそうな男性がいたので 尋ねてみると このボールの中身はバクテリアで出来ていて 川を除染する為に 川に投げ入れるとのことでした。 あと一時間位したら 川に投げ込むとのことなので 一時間位して見に行ったら すでに終了していた。残念!
日本橋の橋のたもとには 福袋を売る老舗の何件かがはいった テントがはられていた。
12時近くになって 人通りが多くなったが 去年より少ないように感じられた。家でお節をたべながら
テレビでマラソンをみているほうが 好いのかなと思った。
午後1時20分近くに1位の日体大のランナーが通過。 アッという間。その後 後続のランナー達が続々と走り去った。 ご苦労様です。 今年もここ数年の 1月3日の行事が終わった。 良い年でありますように!
[下町トム]
2013年1月 1日 10:00
新年明けましておめでとうございます。今年も中央区の繁栄とゆかりのある方々のご健勝を心よりお祈り申し上げます。
さて、昨秋からシリーズではじめたこの探訪記ですが、あともう少し続けさせていただきます。思うがままの散歩と寺社への参詣、吟行気分の独りよがりですが、何卒ご寛容にお付き合い下さい。
年明けはまず日本橋からスタートします。〝お江戸日本橋♪〟と歌われたように、新年の門出にはふさわしい土地ではないでしょうか。日本橋を渡り、新玉の水の流れに一年の安寧を祈りつつ、歩を進めます。
日本橋の地下街路には、皆様ご存知でしょうが、『熈代勝覧』複製画が壁面いっぱいに設置されています。今から200年前の日本橋の大通りに並ぶ商舗を丹念に描いた貴重な絵です。原画がドイツで発見されたものを 、名橋「日本橋」保存会及び日本橋地域ルネッサンス100年計画委員会によって複製画が制作され、2009年に設置されました。
大変正確に描かれており、眺めているだけで江戸時代にスリップしたような気分になります。ぼくは日本橋を訪ねたときには必ずこの絵のところに自然と脚が向かうのです。
地上に出て、〔三井本館〕を左に眺め、〔コレド日本橋〕の先を右に曲がると、そこは〔浮世小路〕。なんとも艶っぽい名前ではありませんか。無論、江戸時代の絵図にもしっかり記されています。ここにあるのが『福徳神社』です。お正月にピッタリのおめでたい名前なので、早速初詣に参ります。新しい町並みに愛らしく風情ある姿が目に映ります。
そもそもの縁起は千年以上前にも遡るそうで、江戸開府とともに隆盛をみたと伝わります。遷座を経てこの地に落ち着いたものの空襲で消失し、戦後はビルの屋上に安置されていました。それが、日本橋室町の再開発に伴い、新たに整備され、昨年、地上に再びお目見えしました。これで気軽に立ち寄ることができるようになりました。
『福徳神社』は江戸時代に富籤を許された数少ない神社の一つで、その縁もあって、〝富籤祈願〟の神様としても知られています。今で言う宝くじですね。椙森神社のときにもご紹介したとおり、江戸時代には大変な人気だったことでしょう。宝くじでなくてもいいから、何かラッキーなことにめぐり合えるようお祈りしてみます。
この神社は別名『芽吹神社」』とも呼ばれ、これもまた縁起がいい名前です。何でも徳川二代将軍秀忠公が参詣の折に、鳥居に用いられた椚(くぬぎ)の木に芽吹いていたのを縁に名づけられたとか・・・。
また、この神社がある〔浮世小路〕は江戸でも有名な料亭『百川』があった場所です。落語の舞台としても知られています。圓生師匠や志ん朝さんの話芸が懐かしい限りです『百川』は実在した料亭で、日米和親条約の交渉時の料理を引き受けたほどの江戸屈指の名店でした。惜しくも明治初年に廃業となりましたが、明治期もしばらくは店舗が残っていたらしく、明治時代に落語『百川』は実感をもって受け容れられたことでしょう。
さあ、気持ちよく参詣を済ませたあとは、自宅へ戻っておいしいお酒でもいただくこととします。まずは〝屠蘇〟をいっぱい・・・。一般に〝屠蘇〟は市販の〝屠蘇散〟を日本酒に浸してこしらえますが、もともと邪気を祓うための薬湯みたいなものですから、旨いというよりは〝お清め〟という感じです。でも、こうして新年を迎えた喜びを感じつつ、祝杯をあげます。
皆様にとって今年がいい年でありますように。
・・・もしかして屠蘇つぐ君が福の神
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