秋来ぬと 目にはさやかに 見えねども 風の音にぞ おどろかれぬる
(藤原敏行朝臣、古今和歌集)
朝夕めっきり涼しくなったなあと思っていたら、ここ明石町の築地川公園にもはや秋の景色が広がっていました
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築地川公園の秋
第33代中央区観光大使・ミス中央本選会 拝見報告
2014年9月13日(土)、日本橋三越本店にて、第33回中央区観光大使・ミス中央選考 本選会が開催されました。 檀上に皆さんお揃いになりました。 流石に、予選会を勝ち抜いてきた美女、淑女です。 「いずれ菖蒲か 杜若」,「立てば芍薬 座れば牡丹 歩く姿は百合の花」
参加者の皆さんは、現役大学生、有名専門店、百貨店、商社などにご勤務の才媛揃いです。 ご趣味もお茶、お花に限らず、スポーツインストラクターとか元気な方々が出場されていました。 ご出身も中央区に限らず、国際的で、台北出身で中央区在住とか、大阪出身、福島県出身とか地方色も豊かですが 現在在住の方、生まれついての中央区というかたも、地元を愛する気持ちが強く伝わってきました。 勝ち残った3名のお嬢様方の、第33代中央区観光大使・ミス中央の誕生です。Congratulations ! Para bems ! 第33代中央区観光大使・ミス中央のお名前は、中央区観光協会のHPでご確認下さい。
今後 一年間のご健勝とご活躍を祈念しております。 (日焼けしないように予防して下さいね。) PS.今回は、第28代中央区観光大使・ミス中央を務められた澤田知美さんが審査員としていらっしゃいました。 私は2009年9月に、澤田知美さん、三上真奈さん、高城あずささんが第28代中央区観光大使・ミス中央に選ばれた時からのファンです。 元観光大使・ミス中央の方々のご活躍をも祈念しています。 銀造
「伊能忠敬 居住200年中央区まつり」 、「第27回 完全復元伊能図全国巡回フロア展」 見学報告
8月28日から31日まで、「伊能忠敬 居住200年中央区まつり実行委員会」主催の催しがありました。 「第27回 完全復元伊能図全国巡回フロア展」です。 中央区立総合スポーツセンターの2階会場を一杯に使っての大展示でした。 伊能忠敬さんは、1745年、九十九里浜のほぼ中央の小関村に、小関貞恒、ミネの子として、三人兄弟の末っ子として生まれました。その後、母親との死別で、入り婿だった父親は忠敬(幼名、三治郎)の兄、姉だけを連れて、実家に戻ります。 忠敬が10歳の時に父親、神保貞恒が迎えに来て、17歳まで父親の元で暮らします。この時、佐原の酒造家、伊能三郎右衛門家では当主がなくなり、未亡人が婿を求めていたのを、神保家、伊能両家の親戚である平山家のあっせんで婿入りします。 その後、伊能家で商才を発揮し、49歳まで家業の酒造業を盛り立てました。 49歳で隠居し、家督を息子・景敬に譲り、江戸に出て天文・暦学を志し、19歳年下の幕府天文方・高橋至時に入門します。 資力があったとはいえ、チャレンジ精神旺盛な伊能忠敬がここから本領発揮です。 深川八幡宮近くの黒江町に住み、浅草の蔵前にあった暦局の高橋至時のもとに通学し、自宅にも観測所を設けて熱心に観測したとのことです。 暦学者の間で、地球の大きさが話題になっていると、浅草と黒江町の緯度の差が1分半ということを知っていたので、「それでは、私が両地点間の距離を測って、緯度一分の距離を決めてやろう」と思い立ちますが、師匠の至時から、「浅草と深川の距離を測って、地球の大きさを決めるのは、ちと乱暴ではないか」といわれ、それではと、日本全国を行脚し、日本地図を作成するのを思い立ったのではないかと言われています。
55歳になって、緯度一度の長さを測ることを目的とする蝦夷地測量に踏み出します。寛政十二年四月十九日、深川八幡宮に参詣し、千住宿を経由して蝦夷地へ向けて旅立ちました。 第二次測量は、伊豆から本州東岸を測りました。 この第一次、第二次測量の実績が認められ、次の第三次測量からは、幕府から旅行のための人馬を無賃で利用できるお触れが出され、数量も大幅に増やされて、村村からは格段に手厚い援助が得られる様になりました。 第三次測量は羽越地方、第四次測量は東海、北陸の沿岸を測量し、東日本全図の制作を目指しました。 下記する参考文献から、このとき使用した測量機器は、「中象限儀」というものであったことが紹介されています。会場では、その他の測量器具も展示されていました。
第一次から第四次までの四回の測量結果は、「日本東半部沿海地図」としてまとめられ、幕閣で好評を博し、第11代将軍徳川家斉の上覧を受けています。 第四次測量ルート図によると、この時は東海道を沼津まで再測し、沼津で伊豆半島の測量線に接続させて東海道沿いの沿岸測量を始め、江尻、三保松原、御前崎、渥美半島、知多半島と進み、熱田から名古屋城下に入って、岐阜、大垣、関ヶ原、木之元を抜け、敦賀から日本海を北上して福井、石川、今浜、能登半島を一周し、七尾、親不知、糸魚川、出雲埼、佐渡島に渡った後、寺泊、長岡、三国峠、高崎、熊谷、江戸へと帰還しています。この時、1803年10月7日ですから、58歳でした。 その後、西日本測量の命令を受けて、第5次、第6次測量が続きました。第5次では、街並みの整った京都も測量しています。 現代の時刻表に使われている地図と大差ないように感じます。 第6次では、厳島の測量も手掛けています。
このイベントでご紹介頂いた全てをこの小さなブログでは表現できないのが残念です。 「伊能忠敬」大先生の旺盛な好奇心、チャレンジ精神を見習って、これからの人生を楽しく生きなければと思いました。 主催者、ご協力の皆様方に深い敬意を表します。 有難うございました。
参考文献:「伊能忠敬の全国測量」編集者:渡辺一郎様、発行者:伊能忠敬研究会、制作、問い合わせ先:日本写真印刷株式会社、電話:075-823-5151 追伸:伊能忠敬さんが、お住まいになったのは、現在の中央区で言えば、亀島橋あたりです。そこには、案内の掲示板があります。中央区の街歩きもお楽しみください。 銀座酒ギャラリー 麹屋三四郎酒舗 本店 体験記&特別試飲会のお知らせ
9月3日の開店に駆けつけました。 開店を待ちきれずに駆けつけたら、一番乗りの様で、17:30、流石に早かった様です。 酒師 藤田黎一さんが、「先ずは!」と、「奥州のおっほー」を進めてくれました。濁り酒、どぶろくなどとも言われる白酒です。活性酒と呼ぶのだそうです。これは、美味い! 続いては、お酒を適温に冷やしているショーケースの中を覗き込み、 「純米吟醸酒 白神」を注文しました。 世界自然遺産に指定の白神山地のブナの原生林の養分を含んだ白神の湧き水を使ったお酒です。何千年の悠久の時を経て、お酒に生まれ変わったのでしょう。自然の神の贈り物の様です。 宮城県気仙沼の「船尾灯」。漁火の色のラベルが、漁港のイメージを膨らまし、鮪漁船が何十艙も係留している風景が甦ってきます。 このお酒は、「気仙沼で震災から立ち上がった一押しの酒 名前は「ともしび」」とご紹介を頂きました。 余りにも、飲むピッチが早いので、店長マネージャーの西野孝宏さんが、「白神山地の水」を勧めてくれました。 世界自然遺産に指定された白神山地の水は、大変まろやかで持ち帰ったペットボトルの水を味わった妻も、「本当に滑らかな優しいお水ねッ!」と言っておりました。 続いては、「甲斐の開運」。 運が開けそうです。海運会社などで、使ったら良さそうです。 そして、そろそろ次回の事を考えて、次は「大金持」を飲もうかなッと、腰を上げかけた時に入店し、 「大吟醸 雄町」を振舞ってくれた人がいます。 「大吟醸 雄町」の酒造会社、「本家 寿虎屋酒造株式会社」の営業部課長 岡崎勝彦さんからお話を伺いました。 同社は、山形県山形市-大字中里字北田93-1 にあり、芭蕉が訪れた山寺の近くにあり、中央区と姉妹都市の東根市へも20kmくらいの距離にあるそうです。旅への憧れの気持ちが掻き立てられます。 「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」 秋の夜長は、日本酒で静かに楽しみたいですね。 ところで、「麹屋三四郎酒舗 開店記念 特別試飲会のお知らせ」です。 9月11日から13日の三日間、18時から22時までの時間帯に、何と! 約100種類ものお酒を、おひとり様飲み放題、お土産付で¥3,500で頂けるそうです。 どうします? 私は、飲みすぎないように、注意しなくっちゃ。 お店は、中央区銀座1-23-4 東海ビル1階、電話:03-5579-9744. です。 聖路加第一画廊 「それぞれの茜どき...三人展」
聖路加第一画廊にて、2014年8月25日から8月30日の間、「それぞれの茜どき...三人展」が開催されました。 ご三方のお名前は、小松原揚子、貞友里江子、ふじさわ典子(敬称略) 銅版画、水墨画、絵画、ネックレスなどの素敵な銀製品の展示、即売会でした。 生憎、男性用の物がなかったので、希望する製品について質問を受けたので、 帽子に付けるライオンなどの動物や爬虫類のペンダント、ループタイが良いのではと答えました。 次回、また素敵な作品と出会えるのが楽しみです。 PS.大変素敵な方々なので、仲良しのところを撮影させて頂きましたが、ブログへの掲載は固く辞退されました。 銀座酒ギャラリー 麹屋三四郎酒舗 本店
中央区役所から京橋プラザに向かう途中、鈴木ビルの向かいに新しいお店がオープンします。
2)正しいお酒の飲み方をお教えしたい。 4)発酵食品(麹食品)を皆さんに食べて、その良さに気付いて欲しい。 とのことです。
お店のオープンは、2014年9月3日です。 Don't miss it!
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