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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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東京スカイツリー/東京タワー パープル・ライトアップ

[サム] 2017年11月16日 18:00

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DSC01183RS'G.jpg 女性に対する暴力根絶のシンボルであるパープルリボンに因んで、「女性に対する暴力をなくす運動」(内閣府とその他の男女共同参画推進本部構成府省庁主唱)期間(11月12日~11月25日)初日の11月12日、東京スカイツリーと東京タワーを紫にライトアップするパープル・ライトアップが点灯。

(東京タワー:パープル・イメージによるダイヤモンドヴェール "ドリームピンク・アクアブルー混合" 点灯)

パープル・ライトアップには、DVをはじめ、性犯罪、セクシャルハラスメント、ストーカー行為など、女性の人権を著しく侵害する暴力の根絶を広く呼びかけると共に、被害者に対して、「ひとりで悩まず、まずは相談をして下さい」というメッセージが込められています。

運動期間中、趣旨賛同の全国のタワーや商業施設などのランドマークに於いて、パープル・ライトアップ実施。

隅田川大橋から清洲橋越し並びに勝どきの隅田川テラスから築地市場越しに、各々、メッセージカラーの塔体が輝いています。

 

 

兜神社

[TAKK...] 2017年11月16日 12:00

東京証券取引所の北にあり、商業の守護神の「倉稲魂命(稲荷神)」と「大国主命(大黒様)」と「事代主命(恵比寿様)」が合祀されています。

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境内には兜岩と呼ばれる岩があり、これが兜町の由来にもなったようです。

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この岩にはいくつかの由来があるようですが、確固たる裏付けがあるわけではないようです。

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なお、兜神社のお守りは、なんと東京証券取引所で授与されるそうです

 

 

 

2017 東京スカイツリー クリスマス限定ライティング

[サム] 2017年11月13日 16:00

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DSC_0277'RSG.jpg 11月9日、東京スカイツリーをクリスマスツリーに見立てた「シャンパンツリー」と、キャンドルに見立てた「キャンドルツリー」の2種類のクリスマス限定ライティングの隔日点灯開始。

 点灯日時 11月9日~12月25日

 22:00~24:00は「幟」「粋」「雅」を日替わり点灯

いよいよクリスマスライトアップのシーズン到来です。

隅田川大橋より、ケーブル部がピンク色に彩られた清洲橋越しに、この時期ならではの耀きが望めます。

初日の11月9日 16:45~17:45は、LED高明度白色照明と、点滅する交点照明、展望台の赤のシンプルな演出。22:00~24:00は「幟」を点灯。

尚11月9日~12月25日の期間、東京スカイツリータウン4Fスカイアリーナに、高さ6.34mの花のクリスマスツリーを中心に仏式庭園をモチーフにした花壇に星やハートを配したイルミネーションを施した「光ガーデン」が設営され、12月1日~12月25日には、壁面でプロジェクションマッピングの開催が予定されています。

 

 

久安橋 工事中のパネルが興味深い お散歩の足休め

[銀造] 2017年11月 9日 12:00

 東京駅八重洲口から散歩。 八重津通りを300㍍も東進すると、おなじみのキリンさんの銅像、

横断歩道を南に渡って、よく目立つ "平和都市宣言一周年を記念して設置された「平和の鐘」、ヤン・ヨーステンの記念碑を見て、工事中のブリヂストン美術館前を進むと、ほどなく久安橋に至ります。

 

 久安橋は、江戸時代に松平越中守の屋敷前に架けられ「越中橋」と呼ばれていましたが、明治元年(1868)に江戸幕府の名残りである「越中」の名が取られ「久安橋」と改称されました。「久安橋」の名は、昔この付近に御坊主久安の拝領地があったことに因むといいます。 現在の橋は関東大震災の復興事業で建設は昭和53月に八重洲通りの造成とともに、架け替えられました。 

 「越中橋」の名前の基になった「松平越中守上屋敷」について説明します。 

松平越中守というのは、幕末の桑名藩松平家のことです。 桑名藩の最後の藩主は、松平定敬(さだあき)で、京都守護職会津藩主松平容保(かたもり)の実弟です。(高須四兄弟の一人) 

 

 さて、その久安橋の袂のビルが工事中ですが、その周囲を覆うパネルが中々秀逸だと感じ入りました。パネルは全部で12枚ほどありますが、江戸時代に日本橋、京橋地区は匠の生きる町でした。

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 江戸時代、この地域には職人が多く住んでおり、職人の仕事から町名が付けられたとあります。現在の八重洲・京橋付近は建設資材を扱う大鋸町・本材木町・南大工町などの職人町から、武士や庶民の生活品を扱う桶町、畳町、具足町などまで多様なモノ造り職人が集う「匠の生きる町」であった。」との説明です。 ちなみに、現在の京橋エドグランのあるところは、江戸時代には、畳町だと、中央区観光情報センターの方に確認して頂きました。

 

ここから、八丁堀方面にお散歩する方には、八丁堀同心に関する説明のパネルが面白いでしょう。

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 与力は「旦那様」、妻は「奥様」と称されていたとか。

旦那様、奥様とご一緒にお散歩は如何ですか? すずらん通りには、和菓子のお店が二軒あり、美味しいお土産もご購入できます。

京華スクエアの前では、八丁堀の与力・同心組屋敷に関する説明碑がご覧になれます。

 

 さて、亀島橋まで行くと、芭蕉の句碑、伊能忠敬さん、東洲斎写楽さんに関する説明碑があります。 橋の向かい側には、堀部安兵衛が住んでいたという説明碑があります。

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実物は、

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これらの説明碑や石碑は是非、亀島橋でご覧下さい。

 

 また、おもてなしの作法についての説明が面白かったです。

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 精進料理のタクアンは、一切れ(人切れ)しか出さず、三切れ(身切れ)、四切れ(世切れ)は出さず、おもてなしの心は、二切れが作法との説明がありました。 験を担ぐことと併せて、面白いですね。

 

 どうぞ、秋晴れの清々しい気候ですので、楽しくお散歩なさって下さい。

 

 

 
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