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中央区観光協会実施の「中央区観光検定」に合格し、特派員登録をした観光ボランティアメンバーによる中央区の“旬な”情報をご紹介。

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永田町に中央区の縁を見た!

[下町トム] 2018年2月20日 12:00

摂社日枝神社.jpg

ご存じのとおり日枝神社は東京を代表する伝統ある神社の一つです。もとをただせば、比叡山にルーツを発する歴史を持ち、古くから崇敬を集めてきました。

 

中央区の茅場町にはこの日枝神社の摂社があります。そもそもはこの辺りに「お旅所」が設けられ、江戸時代には神仏習合の総合的な信仰の場所として栄えました。今ではビルの谷間にひっそりとたたずんでいるようにも見えますが、山王祭の際にはひときわ賑わいを見せてくれます。

 

IMG_2411_R.jpg先日、千代田区永田町にある日枝神社を訪ねたところ、狛犬の台座に何と「南傳馬(伝馬)町」の文字があるではりませんか。「南伝馬町」は今は町名がなくなり、京橋の一部に組み込まれていますが、江戸時代には大伝馬町、小伝馬町とともに「三伝馬町」と呼び慣わされました。中央区の歴史の中でも重要な位置づけです。
後に赤坂にも「赤坂伝馬町」が中央区の「三伝馬町」に付属する形で設けられたとかいうことなので、いろんなつながりがあったのでしょう。

 

他区においても中央区の歴史の一端を垣間見たひとときでした。

 

 

祝金メダル 特別ライトアップ

[サム] 2018年2月19日 12:00

P2170338ELS'.jpgDSC_1036ELS''G.jpg 平昌オリンピック9日目の2月17日、フィギュアスケート男子フリーで、羽生結弦選手が圧巻の演技を披露し、SPと合わせ、317.85点で二連覇を達成。

今大会の日本勢金メダル第一号です。

祝福の気持ちを込め、東京スカイツリーでは同夜17:30~24:00、2013年に公募によりデザインされた、金メダルをイメージした特別ライトアップが点灯。永代橋越しに見事な金メダルの輝きが望めます。

東京タワーでも同様に「金メダルおめでとう!スペシャルダイヤモンドヴェール」が点灯。

宇野昌磨選手も合計306.90点で銀メダルに耀き、フィギュアで初めて複数の日本選手が表彰台に立ち、列島各地が大歓声に包まれました。

 

 

 京華スクエア 〜地域の発展のために〜

[東京ダンボ] 2018年2月14日 14:00

八丁堀すずらん通りの南端、八丁堀3丁目にある京華スクエアは、1901(明治34)年に創立された京華小学校が形を変えて地域に貢献して生き続けている施設です。

 

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現在の建物は関東大震災後、耐震性に力を入れた「復興小学校」として1929(昭和4)年に建てられた旧京華小学校・幼稚園の建物を再利用して使い続けています。

 

IMG_2550.jpg

 

京華小学校は中央区が人口減の時代であった1993(平成5)年に、鉄砲洲小学校とともに中央小学校に統合されたため閉校となっていましたが、2001(平成13)年に京華スクエアとして中央区立ハイテクセンター(研修室・会議室・展示場・ロビー)、京華コミュニティルーム、中央区シルバー人材センター、早稲田大学エクステンションセンター八丁堀校などが入り蘇ったものです。

 

IMG_2558.jpgIMG_2559.jpg

 

校庭ではあの二宮金次郎が勉強を続けていました。

 
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早稲田大学エクステンションセンター"Extension"(=拡張、開放)の意味するとおり、早稲田大学の研究・教育機能を広く社会に開放するための機関で、八丁堀校では「早稲田大学オープンカレッジ」として、教養・ビジネス・語学・スポーツ等、春・夏・秋・冬の学期ごとに講座を多数設置し、昼夜合わせて年間約550講座を提供しているそうです。

 
こんな近くに大学として日本最大の生涯学習機関「早稲田大学エクステンションセンター八丁堀校」が設置されているのですから、利用しない手はないですね。
 
東京ダンボも今年から学習を開始しました。
幾つになっても勉強はできるものですね。
 
スクリーンショット 2018-02-11 21.53.16.png
 

 

平昌オリンピック開会式特別ライティング

[サム] 2018年2月13日 18:00

DSC01856ELS'.jpgDSC_1036ELS''G.jpg  2月9日、第23回オリンピック冬季競技大会(PyeongChang 2018)が開幕。冬季大会としては過去最多の92ヵ国と地域、2,900人余りの選手が参加し、17日間にわたり7競技102種目の熱戦が繰り広げられます。

東京スカイツリーと東京タワーでは、開会式が行なわれた同夜、日本代表選手にエールを送るオリンピックシンボルの「青・黒・黄・緑・赤」の特別ライティングが点灯。

東京スカイツリー 17:15~24:00 東京タワー 日没~23:00

ライトブルーにライトアップされた永代橋越しに、五輪カラーが映えています。

大会期間中、日本代表選手・チームが金メダル獲得の際にも、祝福の気持ちを込め、「金メダルおめでとう!スペシャルダイヤモンドヴェール」(東京タワー)、「金メダルをイメージした特別ライティング」(東京スカイツリー)、を各々点灯予定と聞きます。

 

 

2018 河津桜開花

[サム] 2018年2月 9日 14:00

DSC01801ELS''.jpgDSC01804RS'G.jpg 隅田川沿いの新川公園(新川2)隅田川テラス 中央大橋北東袂の植え込みに植栽されている3本の河津桜が数輪咲き始めました。

因みに、桜開花とは "標準木で5ー6輪以上の花が開いた状態となった最初の日"。

カンヒザクラとオオシマザクラの種間雑種とされ、花色は桃色ないし淡紅色で、ソメイヨシノと比べると花弁の赤みが強い印象です。

桜のシーズンの先鞭を切って、通常2月上旬頃から咲き始め、約1ヶ月後満開となり、満開状態が一定期間持続するのも特徴のひとつ。

開花時期はその年の天候に大きく左右されると聞きますが、1月下旬は7日連続の冬日、今月に入っても連日最高気温が10℃を下回る中、ピンクの花色は、春の到来が着実に近づきつつあることを感じさせてくれます。

 

 

木下杢太郎とカフェー

[yaz] 2018年2月 8日 09:00

木下杢太郎シリーズ第一回「木下杢太郎と八重洲橋」で、鎧橋の脇に開かれた「メゾン 鴻ノ巣」にパンの会メンバーと共に足しげく通っていたことを書きました。

/archive/2017/12/post-4762.html

 

パンの会は明治末期の耽美主義文芸運動の拠点となった談話会です。 1908年 12月(明治41年)に発足、メンバーとしては』系の木下杢太郎、北原白秋、吉井勇らの詩歌人,美術雑誌『方寸』出身の木村荘八などの美術家,自由劇場の小山内薫,市川左団次らから構成されます。永井荷風なども出席し,東京をパリに,隅田川をセーヌ川になぞらえた青春放埒の宴を続けました。日本橋川をセーヌ川になぞったという説もあり、「メゾン 鴻ノ巣」も重宝がられました。(日本橋小網町には「メゾン鴻ノ巣」について説明する看板が設置されています)

パンの会.jpg 

この絵は木下杢太郎記念館(伊東市)に飾られているものを撮影したものです。絵は杢太郎の作です。

 

「鴻之巣」の名は、「メゾン 鴻ノ巣」のオーナー奥田駒蔵のふるさと"久世郡寺田村(京都府城陽市)近くの丘「鴻ノ巣山」"(埼玉県の鴻ノ巣市は無関係)に因んでいます。「メゾン 鴻ノ巣」開店時の駒蔵は若干三十六歳でした。

大正四年ごろ、「メイゾン鴻之巣」は日本橋木原店(きわらだな・かつての白木屋の横町、いまも「木原店跡」の札がかかっている)に移転します。
一階は庇のような狭いバア。煉瓦のあらわに出た壁が地下室を思わせる感じでした。二階の食堂はかなり広く、さまざまな文芸団体の集会場として、小網町時代よりも一層利用されるようになりました。芥川龍之介の『羅生門』の出版記念会の写真が残されていて、鴻之巣の店内の様子が判ります。

芥川龍之介_羅生門_出版記念会(日本橋の鴻ノ巣).jpg 

 大正九年の末ごろになると、店は再度移転します。こんどはフランス料理「鴻乃巣」として、本格的なレストランを名乗ります。場所は京橋の南伝馬町二丁目12、現在地下鉄京橋駅上の明治屋の位置です。もと田村帽子店のあった四階建てのビルとのこと。
一階は天井の高いホールのような造りで、曲木細工の椅子に円いテーブルが数組。冬にはだるまストーヴが赤々と燃え、カウンター背後の棚には洋酒の瓶がズラッと並び、鼻をくすぐるコーヒーの香りが店先にまで漂い、客を誘います。二・三階には大小の宴会場が数間あり、四階は従業員の休憩所や家族の住居になっていたようです。
大正十二年九月一日、関東大震災で店は倒壊してしまいますが、駒蔵一家は無事でした。
 

メゾン鴻ノ巣(京橋).jpg 田村帽子店(京橋).jpg

レストラン_鴻ノ巣(京橋).jpg 

しかし、震災からわずか二年後の大正十四年十月一日、駒蔵は四十三歳の若さで急死します。

 

パンの会はいろいろの店を使って集会を続けますが、「メゾン 鴻ノ巣」以外で馴染みにしたカフェーが銀座のプランタンです。東京美術学校(現 東京芸術大学美術学部)出身の松山省三が、パリのカフェーのような、文人や画家達が集い芸術談義をできる場所を作りたいと、1911年3月にカフェープランタンを開業しました。所在地は京橋区日吉町20番地(現銀座8丁目6番24号、銀座会館付近)で銀座レンガ街の一角。煉瓦の建物を改装し、小山内薫が「プランタン」と命名しました。類似の店は存在していましたが、プランタンの登場によって、洋行帰りの人たちが口にしていたような意味での(サロン形式の店としての)カフェーが登場した訳です。

 

プランタンなのか鴻ノ巣なのかは特定できませんが、木下杢太郎から聞き取って木村荘八が絵筆をとった絵が残っています。楽しそう!

パンの会の様子(木村荘八作).png

銀座のカフェーはその後いろいろの変遷を経て、一つの形として「バー」という形式を生み出し、銀座全体(1丁目から8丁目)で約350軒に上っています。木下杢太郎や太宰治などのカフェー体験の一部でも、銀座のバーを訪ねて感じてみませんか?