前回に紹介したブログ『銀座五~八丁目散策Ⅰ』の続きを案内します 。
前回の記事はこちら→/archive/2013/07/post-1716.html
今回は、後半の太文字 で示している場所です。
< 行 程 >
銀座駅・・・数寄屋橋の碑・・・北村透谷&島崎藤村記念碑・・・石川啄木歌碑・・・歩行者天国・・・商法講習所跡・・・金春屋敷跡・・・銀座煉瓦遺構碑・・・銀座柳の碑・・・芝口御門跡・・・三十間堀跡・・・元国鉄踏切信号機・・・検査業務開始地・・・銀座案内所・・・新橋演舞場・・・東京商工会議所の跡・・・佐久間象山塾跡・・・狩野画塾跡
三十間堀跡から出発・・・
前回の続きだが、三十間堀跡の説明板の横にある三個の大きな石
これらは高速道路出口にあり。わかりにくい。
日本における
近代的物品購入検査の始まりの地
明治9年〈1876〉に
工部省電信寮の碍子試験所がここで電信用碍子の電気試験を行う。
元国鉄踏切信号機
明治時代、国内商工業者の意見を集約する代表機関がないため、不平等条約との改正が困難を極めていた。そこで、伊藤博文と大隈重信は渋澤栄一に代表機関の設立を依頼する。
明治11年〈1878〉、
日本初の商工会議所である
「東京商法会議所」が設立される。
この碑は、創立100周年を記念して発祥地に建立。
左手側に新橋演舞場がある。見過ごしやすい。
佐久間象山塾跡
嘉永4年〈1851〉に兵学・砲術・海防方策などの講義をおこなうために兵学塾を開講。
門下には、勝海舟・吉田松陰・橋本左内・河井継之助などが集まり、坂本竜馬も一時、籍を置く。嘉永7年〈1854〉吉田松陰のアメリカ密航により塾が閉鎖される。
狩野画塾跡
幕府奥絵師。狩野四家。
鍛冶橋・木挽町・中橋・浜町に屋敷を拝領。現在の中央区。
繁栄したのはこの木挽町の狩野家。
六代典信は老中田沼意次の知遇を得てこの地に塾を開く。狩野芳崖・橋本雅邦はこの塾の出身者。
以上、銀座五~八丁目散策でした